『バイス』とは?|どんな映画?
『バイス』は、アメリカの政界を舞台に、ブッシュ政権下で副大統領として絶大な権力を握ったディック・チェイニーの実像に迫る伝記風ブラックコメディです。
一見すると堅苦しい政治ドラマのようでいて、実際には皮肉と風刺の効いた演出や編集が特徴的で、政治に詳しくない人でも楽しめる構成になっています。
ドキュメンタリー的な語り口と映画的演出を融合させた本作は、「史上最も影響力のあった“裏方”政治家の軌跡」をユーモラスかつシニカルに描き出しています。
ジャンルとしては伝記映画・ブラックコメディ・政治ドラマが交差するユニークな位置づけであり、「政治の裏舞台を覗き見る知的エンタメ」と言える作品です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | Vice |
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タイトル(邦題) | バイス |
公開年 | 2018年 |
国 | アメリカ |
監 督 | アダム・マッケイ |
脚 本 | アダム・マッケイ |
出 演 | クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル |
制作会社 | プランBエンターテインメント、アナプルナ・ピクチャーズ |
受賞歴 | 第91回アカデミー賞 メイクアップ&ヘアスタイリング賞 受賞/作品賞含む8部門ノミネート |
あらすじ(ネタバレなし)
若き日のディック・チェイニーは、アメリカ中西部の電気工として、人生の方向性を見失っていた。だが、ある出会いが彼の運命を大きく変える。
政治の世界へと足を踏み入れた彼は、次第にその才能を発揮し、ワシントン政界で頭角を現していく。
そして時は流れ、ブッシュ政権下で彼が任されるのは、「副大統領」という名の最大の実権だった——。
なぜ彼はここまでの権力を握ることができたのか? そして、その裏にはどんな政治的駆け引きがあったのか?
チェイニーの人生を追いながら、アメリカ政治の裏側に触れていく物語が幕を開ける。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(4.0点)
映像/音楽
(3.5点)
キャラクター/演技
(4.5点)
メッセージ性
(4.5点)
構成/テンポ
(3.5点)
総合評価
(4.0点)
政治という難解なテーマを、皮肉とユーモアを交えてエンタメ作品として昇華した点は高く評価できます。特に、クリスチャン・ベールの鬼気迫る演技は圧巻で、実在の人物を超える説得力をもたらしています。
一方で、情報量が非常に多く、政治の基礎知識が乏しい観客には理解が難しい箇所も。構成もやや乱雑な印象を受ける場面があり、テンポの緩急に不均衡さを感じる部分もありました。
それでも、社会的メッセージの強さやキャラクター表現の完成度は見逃せず、知的好奇心を刺激する硬派な作品として、一定の完成度を誇ります。
3つの魅力ポイント
- 1 – 圧巻の“変身”演技
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クリスチャン・ベールの演技は本作最大の見どころの一つ。ディック・チェイニーに寄せるために体重を大幅に増やし、声色や話し方までも再現。俳優としての身体的・精神的な献身が、観客にリアリティと重厚感を与えています。
- 2 – 笑えるほど痛烈な風刺
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シリアスな題材を扱いながらも、ユーモアと皮肉を巧みに交えた演出が光ります。突然ミュージカルが始まったり、エンドロールが途中で流れたりと、常識を裏切る“遊び心”が政治の暗部をより鮮やかに浮かび上がらせています。
- 3 – 知的好奇心を刺激する構成
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時系列を前後させながらチェイニーの人生を描く構成は、単なる伝記映画にとどまらないダイナミズムを生み出しています。ナレーションやブレイク・ザ・フォース・ウォール(第四の壁の破壊)も駆使され、観客の思考を常に揺さぶる設計となっています。
主な登場人物と演者の魅力
- ディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)
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主人公チェイニーを演じるクリスチャン・ベールは、体重増加・特殊メイク・発声のコントロールを駆使して実在の人物を驚異的に再現。その演技は単なる模倣にとどまらず、冷静で冷酷な“影の支配者”としての存在感を全編にわたって貫いています。
- リン・チェイニー(エイミー・アダムス)
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チェイニーの妻リンを演じたエイミー・アダムスは、夫を支えるだけでなく、彼の野心に火をつける“知的な原動力”としての役割を力強く体現。家庭内での存在感と、政治的背景における影響力の二面性を巧みに演じ分けています。
- ドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)
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チェイニーの政界の師的存在として登場するラムズフェルドを、スティーヴ・カレルが皮肉たっぷりに演じています。軽妙なセリフ回しと飄々とした態度で、腐敗した政治の象徴としての立ち位置をコミカルに、そして鋭く描いています。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
テンポの良い娯楽作品を期待している人
政治や現代史にまったく興味がない人
風刺や皮肉といった表現に抵抗がある人
シンプルでわかりやすいストーリー構成を好む人
映画に明確なカタルシスや感動を求めている人
社会的なテーマや背景との関係
『バイス』が描くのは、アメリカ現代史の中でも特に重大な転換期にあたるブッシュ政権下の政治構造であり、その裏で絶大な権力を振るった副大統領ディック・チェイニーの存在です。
本作では、9.11テロ以降の愛国法やイラク戦争、環境政策の後退といった実際の歴史的出来事が次々と登場しますが、これは単なる伝記映画ではありません。「民主主義の名のもとに、どこまで個人が国家を動かせるのか?」という根源的な問いを観客に突きつけてきます。
また、マスメディアと政治の癒着、情報操作、官僚の私物化といった構造的な問題にも鋭く切り込んでおり、それはアメリカのみならず他国の政治にも通ずる普遍的なテーマです。物語全体が風刺の効いた鏡となり、現実社会の歪みや危うさを照射しています。
リン・チェイニーの描写を通じて、政治家の家庭がいかに戦略的なパートナーシップを持って動いているかも明示され、これは“夫婦の野望”という視点で見ても非常に興味深い構造です。女性の野心や社会進出といった文脈も含んでおり、単なる副大統領の物語ではなく、権力構造全体への複層的な批評が展開されています。
さらに、ブラックユーモアを交えた構成が「深刻な事実にどう向き合うか」という視点を観客に委ねる仕掛けになっており、事実に基づきながらも観客の思考を刺激する“政治エンタメ”として機能しています。
政治がいかに個人の判断と欲望で変容するのか。そしてその影響を受けるのは誰か。『バイス』はその構造を浮き彫りにし、「知らなかった」では済まされない現実を突きつけてきます。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『バイス』は、政治映画でありながらも映像表現において非常にユニークなアプローチを取っており、観客を飽きさせない工夫が随所に施されています。とくに注目すべきは、物語の語り手が突然登場したり、エンドロールが意図的に途中で流されたりといったメタ的な演出です。
こうしたスタイルは単なるギミックではなく、観客が「何を信じるべきか」を揺さぶるための仕掛けとして機能しており、政治や権力という抽象的なテーマを視覚的に“体感”させるための手段として活用されています。
一方で、映像自体の“美しさ”を追求する作品ではなく、むしろドキュメンタリータッチに近いリアルな画作りが中心です。暗めの照明や色調、手持ちカメラによる不安定な画面などが、冷徹で不穏な世界観を効果的に演出しています。
刺激的な描写としては、戦争関連のシーンや医療行為の描写、暴力的な映像資料などが断片的に挿入される場面があります。ただし、それらはセンセーショナルに描かれるのではなく、あくまで現実の重大性を伝えるための冷静な視点で構成されています。
性描写については明確なラブシーンや露骨な表現はなく、過度な性的コンテンツは含まれていません。ホラー的な恐怖演出も皆無ですが、精神的にずしりとくる“現実の重さ”が作品全体に漂っています。
そのため、小さな子どもや明確なエンタメ要素を求める人にはやや重たく感じられるかもしれません。視聴前には、「エンタメ性よりも問題提起重視の社会派映画」であるという心構えが必要です。
総じて、『バイス』の映像演出は、テーマの深さと知的挑発性を際立たせるための重要な要素となっており、“観る”というよりも“向き合う”映画体験として観客に深く問いかけてきます。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『バイス』は原作のある映画ではなく、アダム・マッケイ監督による完全オリジナル脚本で構成された伝記映画です。そのため、観る順番などの前提知識は不要で、本作単体で完結した構成となっています。
ただし、アダム・マッケイ監督は過去にも実在の金融スキャンダルを描いた『マネー・ショート 華麗なる大逆転』や、環境問題と人間心理を交差させたドント・ルック・アップなどを手がけており、社会風刺とエンタメ性の融合を得意とするスタイルが見られます。
また、現実の出来事を皮肉たっぷりに描いた作品としては、ウルフ・オブ・ウォールストリートも比較対象として語られることが多く、“現代史の狂騒”をエンタメに昇華した映画として共通点があります。
本作にはスピンオフやドラマ版といったメディア展開は行われておらず、映像作品としては本作が唯一の形態です。ただし、アメリカの政治ドキュメンタリーや関連するノンフィクション作品と併せて観ることで、より深い理解が得られるでしょう。
類似作品やジャンルの比較
『バイス』のように実在の人物や事件を基に、現代社会の構造や問題点を浮き彫りにする作品は他にも存在します。中でも、金融業界の闇を描いた『マネー・ショート 華麗なる大逆転』は同じアダム・マッケイ監督による作品であり、テーマ性・演出手法ともに非常に近い位置づけです。
また、政治的混乱と情報操作を風刺的に描いたドント・ルック・アップも本作と同様、シリアスな社会問題をユーモアで包み込む構成が特徴で、「笑いながら考えさせられる」タイプの作品として共通しています。
一方、金と権力に溺れる人間の業を描いたウルフ・オブ・ウォールストリートは、ジャンルこそ違えど「現実に基づくエンタメ作品」としての土台が似ており、エネルギッシュな語り口と人物描写の濃さに惹かれる人には刺さるでしょう。
このように、『バイス』は社会派ドラマや政治風刺の文脈に位置する作品であり、“現実を描く知的エンタメ”というジャンルの中で独自の立ち位置を築いています。
続編情報
2025年8月時点において、映画『バイス』の正式な続編やスピンオフ作品の発表は確認されていません。
アダム・マッケイ監督はその後も『ドント・ルック・アップ』など風刺的な社会派映画を手がけていますが、『バイス』の物語の続編にあたる新作については構想や報道も見つかっていません。
主要キャストであるクリスチャン・ベールやエイミー・アダムスも本作以降にさまざまな話題作へ出演しているものの、ディック・チェイニーを再び演じる予定に関する発言・契約情報はなく、制作チームとしての再集結も報道されていない状況です。
現時点では続編企画は存在しないと見られますが、政治ジャンルや実話ベース作品は時代の流れによって再評価や再構成されるケースも多く、将来的なスピンオフや新構成でのシリーズ化の可能性はゼロではありません。
そのため、今後の動きに関しては監督や制作会社の公式発表を引き続き注視していく価値はあると言えるでしょう。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『バイス』は、単なる政治映画や伝記映画の枠を超えた、現代社会に対する鋭い問いかけに満ちた作品です。ひとりの副大統領の歩みを追いながら、観客に突きつけられるのは「政治とは何か」「権力とは誰の手にあるのか」といった本質的な問題です。
ディック・チェイニーという実在の人物を描きながらも、そこに描かれているのは一個人の成功譚ではなく、“構造としての権力”がどのようにして作られ、維持され、暴走するのかという冷徹な分析に他なりません。
観客は、時に笑いながらも背筋が寒くなるような演出に引き込まれ、物語が終わった後にも心のどこかに「この現実は、まだ続いているのではないか」という余韻を抱えることになります。
本作の最大の強みは、メッセージ性の強さだけでなく、それをエンタメとして成立させる巧みな語り口にあります。独特の編集、語り手の介在、ブラックユーモアを駆使した脚本など、あらゆる手段を使って観客に“考えること”を促してきます。
そして何より、この映画が問いかけるのは「自分はどこまで知っていたか?」という自己への疑問でもあります。ニュースや政治に無関心であることが、どれだけ巨大な力を後押ししてしまうか。本作はその現実を、静かで冷徹なトーンで、しかし確実に突きつけてきます。
観終わった後に残るのは、決してスッキリとしたカタルシスではありません。むしろ、どこか喉に引っかかるような、モヤモヤとした重みです。しかしその違和感こそが、『バイス』という映画が放つ最大のメッセージなのかもしれません。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
OPEN
『バイス』の終盤、ディック・チェイニーがカメラ目線で“この国のためにやった”と語るシーンは、本作の最も強烈なメタメッセージの一つです。これは観客に対して「果たして彼の視点をどう受け止めるか?」という解釈の余地を与える仕掛けであり、単なる告白ではなく“開き直り”や“正当化”の両義的な読み取りが可能です。
また、ナレーションを務めていた人物が、実はイラク戦争で命を落とす兵士であったという展開も非常に象徴的です。この演出は、「誰の決断が誰の命を奪ったのか」という視点を観客に突きつけるものであり、全編を通して語られてきた“冷静な第三者の語り”が一気に現実の犠牲者の声へと転化する構造には深い意図を感じます。
さらに、本作にはいくつかの「虚構」が意図的に組み込まれています。例えば、途中で挿入されるミュージカル調のシーンや、フェイクのエンドロールなどは、観客の認知を揺さぶるための“演出上の嘘”です。しかしその“嘘”が、かえって政治や報道の中にある“本当の嘘”を照射する装置として機能しています。
リン・チェイニーの役割についても考察の余地があります。彼女は単なる“夫を支える妻”ではなく、実質的にディックの信念形成や行動の原動力となっている存在です。特に若き日のディックに対し、自身の価値観と理想を強く語るシーンは、この物語における“もう一人の主導者”としての存在感を裏付けています。
最終的に『バイス』が観客に問うのは、「誰が権力を動かし、それに気づかない我々がどれほど無力か」という構造的な問題です。その問いに対し、本作は明確な答えを示すことなく、静かに、しかし確実に“違和感”という余韻を残して物語を閉じます。
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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