『パリ、嘘つきな恋』とは?|どんな映画?
『パリ、嘘つきな恋』は、フランス発のロマンティック・コメディで、軽妙なウソから始まる男女の関係を描いた心温まる物語です。
仕事も恋も思いのまま、プレイボーイな主人公がふとした誤解から「車椅子のふり」をしてしまい、本当に車椅子で生活する女性と出会う――という設定が、物語にユニークさと深みを与えています。
ラブコメらしいテンポ感と笑いに加え、「思いやり」や「ほんとうの優しさとは何か」といった問いかけも含んでおり、観る人の心に優しく刺さる作品です。
一言で言えば、「ウソから始まる恋が、人生を変える真実へと導く物語」です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | Tout le monde debout |
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タイトル(邦題) | パリ、嘘つきな恋 |
公開年 | 2018年 |
国 | フランス |
監 督 | フランク・デュボスク |
脚 本 | フランク・デュボスク |
出 演 | フランク・デュボスク、アレクサンドラ・ラミー、エルザ・ジルベルスタイン |
制作会社 | Gaumont |
受賞歴 | 2018年 アルペ・デュエズ国際コメディ映画祭 最優秀女優賞(アレクサンドラ・ラミー) |
あらすじ(ネタバレなし)
仕事もプライベートもスマートにこなすプレイボーイのジョスランは、周囲からも一目置かれるやり手のビジネスマン。だが、女性との関係はいつも表面的で、恋に本気になることはなかった。
ある日、亡き母の遺品を整理していたジョスランは、ふとした成り行きから車椅子のふりをしてしまう。そこに現れたのが、姉の友人で車椅子生活を送る美しい女性・フロランス。
軽い気持ちで始めた“演技”が、思いがけず心を動かし始めるジョスラン。本当の自分を隠したまま、彼はこの恋を進めることができるのか?
ひとつのウソが、ふたりの運命を大きく動かしていく――。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(3.5点)
映像/音楽
(3.0点)
キャラクター/演技
(4.0点)
メッセージ性
(3.5点)
構成/テンポ
(3.0点)
総合評価
(3.4点)
物語の軸は分かりやすく、障がいを持つ人との恋愛というテーマを軽やかに描いており、観やすさは抜群です。ただし、プロットに意外性が少なく、展開もやや予定調和気味なため、ストーリー評価はやや控えめにしました。
映像面はスタイリッシュさよりも生活感や温もりを重視しており、音楽も控えめな印象です。一方でキャラクターと演技は良好で、主演2人の自然なやりとりは観る者の共感を誘います。
メッセージとして「見た目や先入観にとらわれないこと」「他者の視点に立つこと」といったテーマはしっかり伝わりますが、描写がややソフトで深掘りまでは至っていないため、満点には至りません。
テンポは中盤以降やや冗長な場面もあるため、全体としては3.4点という妥当なラインに落ち着きました。
3つの魅力ポイント
- 1 – ウソから始まる恋の切なさと優しさ
車椅子のふりをしたことで出会う恋、という設定は一見コメディですが、物語が進むにつれ、ウソをついた側の葛藤と、信じてしまった側の繊細な感情が交差し、深みのある感情描写が展開されます。「笑えるのに胸が痛い」そのバランスが絶妙です。
- 2 – アレクサンドラ・ラミーの自然体な魅力
車椅子で自立した生活を送るヒロイン・フロランス役のアレクサンドラ・ラミーは、強さと優しさを併せ持つ女性像を自然体で演じています。過剰な演技を避けたリアルな表現が、観る者に安心感と尊敬の念を抱かせます。
- 3 – 障がいを「特別視しない」描き方
この作品では、障がいを扱うテーマでありながら、「かわいそう」や「乗り越える」といったお決まりの表現ではなく、一人の魅力的な人物としてフロランスが描かれています。偏見に対するメッセージをこめつつも、説教臭さを避けたスタイルが魅力です。
主な登場人物と演者の魅力
- ジョスラン(フランク・デュボスク)
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仕事も恋も器用にこなすプレイボーイ。軽いウソから始まる恋愛を通じて少しずつ変わっていく主人公です。演じるのは本作の脚本・監督も務めるフランク・デュボスク。彼自身の持つ軽妙なユーモアと人間味がキャラクターに深みを与えており、特に“笑顔の裏の葛藤”を表現する表情演技に注目です。
- フロランス(アレクサンドラ・ラミー)
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自由で明るく、車椅子生活を自分らしく楽しんでいる女性。自立心が強くユーモアも忘れないフロランスを、アレクサンドラ・ラミーが自然体かつ繊細に演じています。強さだけでなく、恋に不安を抱く一面も感じさせる演技が光ります。彼女の存在が、この物語に優しさと説得力をもたらしています。
- マリー(エルザ・ジルベルスタイン)
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ジョスランの兄弟のパートナーであり、フロランスの姉。物語のキーパーソンとしてジョスランとフロランスをつなぐ存在。エルザ・ジルベルスタインは静かな包容力と品を持った女性像を丁寧に演じており、彼女がいることで物語が柔らかく支えられています。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
感動の押し付けや説教臭い展開を嫌う人
リアリティのある障がい描写を期待する人
コメディ色が強すぎる映画が苦手な人
予想外の展開やサスペンス性を求める人
スローペースな映画に集中しにくい人
社会的なテーマや背景との関係
『パリ、嘘つきな恋』は、ラブコメディの形式をとりながらも、「障がい者と健常者のあいだに存在する見えない壁」という社会的なテーマを静かに浮かび上がらせる作品です。
主人公ジョスランが車椅子のふりをするという、倫理的にグレーな行動をとることで、観客は「もし自分が同じ立場ならどう思うか?」「この行為は許されるのか?」といった問いに向き合わされます。その一方で、ジョスラン自身も恋愛を通して、障がいを持つ人々への認識や向き合い方を変化させていきます。
また、フロランスというキャラクターは、「障がい者=弱者」という先入観に揺さぶりをかける存在です。彼女は自立し、生活を楽しみ、時には皮肉も飛ばすユーモアのある人物として描かれており、「障がい者を特別視せず、ひとりの人間として見ること」の重要性が作品全体を通じて語られています。
さらに本作のメッセージは、現代社会における“見えない偏見”や“意図しない差別”を反映しています。ジョスランの行動は差別ではなく好意から来たものですが、それが結果として相手を傷つける可能性を孕んでいるという点は、現代のSNS社会やジェンダー論とも通じる示唆を含みます。
ユーモラスで軽やかな語り口の裏には、「どうすれば本当に人を思いやることができるのか」という普遍的なテーマが潜んでおり、観終わったあとにじんわりと問いを残す映画です。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『パリ、嘘つきな恋』は、映像美を前面に押し出す作品ではありませんが、登場人物たちの生活や心情を自然に映し出す“温もりある映像設計”が特徴です。舞台となるパリの街並みや、フロランスの家、リゾート地の風景など、いずれも作為的でない光の取り入れ方や、柔らかな色彩が印象に残ります。
演出面では、軽快な編集テンポや俳優同士の間合いを活かしたカットが多く、「心地よいリズム感の中で感情を追える構成」となっています。BGMも主張しすぎず、シーンの余韻を邪魔しない形で調和しており、過剰な演出を避けたバランスの良さが感じられます。
一方で、刺激的な描写についてはほとんど存在しません。暴力的なシーンやショッキングな演出は皆無で、性的な描写も非常に控えめです。ロマンティックな場面はあっても、性的なニュアンスを強調することはなく、全年齢層が安心して観られる内容に仕上がっています。
ただし、物語の根底には「ウソをついて人の心に入っていくこと」や「障がいのある相手を恋愛対象として見る視線」といったセンシティブなテーマがあるため、人によっては心情的に引っかかる部分もあるかもしれません。そういったテーマに敏感な方は、軽やかな雰囲気に惑わされず、じっくりと向き合う心構えで臨むとよいでしょう。
全体として本作は、映像や演出が物語の世界に寄り添う形で丁寧に構築されており、視覚的にも感情的にも「やさしく包み込む」ような作品です。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『パリ、嘘つきな恋』は、オリジナル脚本による単発映画であり、シリーズ作や前日譚などの関連作品は存在しません。また、小説や漫画などの原作もないため、この作品単体で完結する構成になっています。
そのため、本作から観始めて問題はなく、予備知識なしで世界観やキャラクターに没入することができます。物語の構造も複雑ではないため、誰でも入りやすい作風です。
一方で、本作の大きな特徴として、主演・脚本・監督をフランク・デュボスクが兼任している点が挙げられます。彼にとって本作は初監督作品であり、自身の持ち味であるユーモアと人間味を詰め込んだ“作家性”が色濃く反映されています。
また、ヒロイン役のアレクサンドラ・ラミーは、過去に『グレート デイズ!-夢に挑んだ父と子-』などでも誠実な演技を披露しており、“人間の尊厳”や“家族愛”といったテーマを得意とする俳優として注目されています。
なお、2022年にはイタリアで本作のリメイク版『Corro da te』が制作され、日本では『幸せのイタリアーノ』という邦題で2024年に公開される予定です。内容はオリジナルに忠実で、設定や構成も大きく変わっていないため、比較鑑賞することで文化的な違いや演出のアプローチを楽しむことができます。
類似作品やジャンルの比較
『パリ、嘘つきな恋』と同じく、障がいをテーマにしながらも軽快な語り口で描いたラブストーリーにはいくつかの注目作があります。以下に類似作品とその特徴を紹介します。
■ 『最強のふたり』(2011, フランス)
車椅子の大富豪とスラム出身の青年の交流を描いた実話ベースのヒューマンドラマ。笑いと感動をバランスよく織り交ぜながら、「障がい者と健常者の関係性」を前向きに描いています。心を通わせるまでの過程やユーモラスな展開は本作とも通じる部分が多いです。
■ 『Blind Date(ブラインド・デート)』(2015, フランス)
壁越しにしか会話できない男女の恋を描いた異色のロマコメ。障がいというより“物理的な距離と心の距離”がテーマですが、言葉を超えたコミュニケーションの尊さは『パリ、嘘つきな恋』と共鳴します。
■ 『Come as You Are』(2019, アメリカ)
障がいを持つ若者たちが“ある目的”のためにロードトリップに出かける物語。ユーモアと切実さが交差するスタイルで、「自由」と「自立」への欲求がテーマです。軽快さの中にある深い人間描写は本作と似ています。
■ 『幸せのイタリアーノ(Corro da te)』(2022, イタリア)
『パリ、嘘つきな恋』の公式リメイク作品。ストーリーや設定はオリジナルに忠実ですが、文化的なアプローチや役者の個性の違いが際立つため、比較鑑賞にもおすすめです。
これらの作品に共通するのは、障がいや困難を「乗り越える対象」ではなく「人間そのもの」として描いている点です。『パリ、嘘つきな恋』が気に入った方には、同じく温かさと誠実さを感じられるこれらの映画もきっと響くはずです。
続編情報
『パリ、嘘つきな恋』(原題:Tout le monde debout)に関して、続編の制作や構想、配信に関する公式な発表は現時点では確認されていません。
本作は2018年公開のオリジナル作品であり、シリーズ化されたり、続編が制作されたという報道も特に見受けられません。また、プリクエル(前日譚)やスピンオフといった形での物語の拡張も行われていないようです。
ただし、2022年にはイタリアにて公式リメイク版『Corro da te』が制作され、日本では『幸せのイタリアーノ』の邦題で2024年に公開予定です。これはストーリーや設定を大きく変えずにリメイクしたものであり、続編ではないものの、作品の世界観が別文化で再構築された例として興味深い存在です。
今後フランク・デュボスク監督が本作の成功を踏まえて新たな展開を構想する可能性は否定できませんが、現時点で続編に該当する作品は確認できません。
そのため、続編を期待する場合は、まずはイタリアリメイク版との比較鑑賞を楽しみながら、今後の動向に注目するのが良いでしょう。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『パリ、嘘つきな恋』は、ラブコメディというジャンルの枠を超えて、「人を思いやるとはどういうことか」「自分とは違う立場の人にどう向き合うべきか」という深い問いを観る者にそっと投げかけます。
最初は軽妙なテンポで進む物語も、主人公が背負った“ウソ”の重みとともに、観客に複雑な感情を抱かせるようになります。ただの恋愛映画ではなく、相手の立場に立って考えることの大切さや、自分勝手な善意がときに誰かを傷つけてしまうこともある、という気づきを促してくれます。
また、障がいを持つ人を描く際にありがちな「感動ポルノ」的な視点を排し、ひとりの人間として、魅力的でユーモアにあふれる女性がそこにいるという描写は、本作の最大の美点のひとつです。ヒロインのフロランスは、支えられる存在ではなく、対等に愛し、愛される存在として描かれています。
視覚的にも演出的にも派手さはありませんが、その分、登場人物たちの感情の揺れや関係性の変化が丁寧に追われており、静かな余韻を残す作品として心に残ります。
観終わったあと、「自分なら、どこでウソをやめられただろう?」「もし自分がフロランスの立場だったら、信じられるだろうか?」といった内省を促す余白があることも、この作品の魅力です。
笑いながら観られるのに、ふとした瞬間に胸が詰まるような感覚――それこそが、『パリ、嘘つきな恋』が私たちに届ける優しい衝撃なのかもしれません。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
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本作の最大の仕掛けは、「主人公がついたウソが、相手の真実とどのように交差するか」にあります。ジョスランは“車椅子のふり”をすることで恋を始めますが、それは優しさなのか、それとも自己満足なのか。この動機の曖昧さこそが、観客の想像を刺激します。
物語の中盤では、彼がウソを続けることに苦しむ様子が描かれます。ここには、単なる恋愛感情だけでなく、「善意という名の暴力」に対する自覚も芽生えており、“本当の誠実さとは何か”というテーマが静かに浮かび上がってきます。
また、フロランスは作中を通して一貫して強く自立した人物として描かれていますが、彼女の最後の選択には、「信じたい気持ち」と「傷つけられた現実」のせめぎあいが表れています。ラストの余白は、視聴者に「彼女は許したのか、それとも許さなかったのか」という問いを委ねており、明確な答えを示さないことによって深い余韻を残します。
さらに、ジョスランの“演技”がもたらす行動の変化は、障がい者になりきることによって“演じていたはずの自分”が変わっていくという構造にもつながります。これは逆説的に、「人はウソを通して真実に辿りつくことがある」という、皮肉かつ詩的な主題を感じさせるものです。
本作は、ロマンティック・コメディの枠に収まりながらも、「信頼」「誠実」「自己認識」といった重層的なテーマを含んでいます。そのすべてが軽やかに語られるからこそ、終盤でふと訪れる“沈黙”や“距離”が、いっそう強く心に残るのです。
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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