『The Witch/魔女』とは?|どんな映画?
『The Witch/魔女』は、予測不能なストーリーと過激なアクションが融合した、韓国発のサイキック・サスペンス・アクションです。
平凡な田舎で暮らす女子高生が、突如として命を狙われる非日常の渦に巻き込まれ、彼女の正体と秘められた能力が明かされていく本作は、静と動のギャップが際立つ異色作です。
その世界観は『X-MEN』のような超能力バトルの側面を持ちながらも、韓国映画らしい重厚な人間ドラマと暴力描写が根底にあり、ジャンルの枠を超えた新鮮な体験をもたらします。
一言で言うなら、「静かな日常を切り裂く“覚醒”の物語」。圧倒的な緊張感とスリルが、観る者を一気に引き込む作品です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | The Witch: Part 1. The Subversion |
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タイトル(邦題) | The Witch/魔女 |
公開年 | 2018年 |
国 | 韓国 |
監 督 | パク・フンジョン |
脚 本 | パク・フンジョン |
出 演 | キム・ダミ、チョ・ミンス、パク・ヒスン、チェ・ウシク |
制作会社 | Goldmoon Film、Peppermint&Company |
受賞歴 | 第39回青龍映画賞 新人女優賞(キム・ダミ) |
あらすじ(ネタバレなし)
幼い頃、謎の研究施設から逃げ出した少女は、記憶を失ったまま田舎の老夫婦に引き取られ、「ジャユン」と名付けられ育てられる。
それから10年。穏やかな日常を送っていたジャユンは、家計を助けるためにテレビのオーディション番組に出演することを決意する。
だが、その出演をきっかけに、彼女の前に正体不明の男たちが現れ、静かだった生活が一変していく。
彼らは一体何者なのか? そして、ジャユン自身が抱える“秘密”とは?
この物語は、記憶を失った少女の過去と運命が、少しずつ解き明かされていくサスペンスの幕開けでもある。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(4.0点)
映像/音楽
(4.5点)
キャラクター/演技
(4.5点)
メッセージ性
(3.5点)
構成/テンポ
(4.0点)
総合評価
(4.1点)
物語の中盤以降に明かされる“正体”と“能力”の設定が極めて魅力的で、観る者に強い印象を残します。特に終盤のアクション演出は韓国映画らしい迫力があり、映像と音楽のクオリティも高水準でした。
主演のキム・ダミは本作が映画初出演とは思えないほどの存在感を放ち、複雑な役どころを繊細に演じ切っています。物語に含まれる社会的背景や人体実験の暗示なども興味深いものの、メッセージ性においてはやや抽象的で、観る人によって受け取り方が分かれる部分もあります。
テンポは序盤こそ緩やかですが、中盤以降の盛り上がりによって一気に引き込まれる構成となっており、全体としての完成度は非常に高い作品といえます。
3つの魅力ポイント
- 1 – 少女の“ギャップ”が生む恐怖と魅力
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ジャユンは一見すると普通の優等生に見えるが、物語が進むにつれて次第に明かされる“異常な存在”としての姿が衝撃的。そのギャップが観る者に強い緊張感と魅力を与え、予測不能な展開へと誘っていく。
- 2 – 圧倒的なアクションと超能力描写
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後半にかけて繰り広げられるバトルシーンは、韓国映画らしいハードな演出とサイキック能力の融合が見事。視覚効果とカメラワークが冴え渡り、観る者を圧倒する“暴力と美”のバランスが取れている。
- 3 – キム・ダミの驚異的な演技力
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映画初出演とは思えないほどの演技力を見せたキム・ダミ。感情のない仮面のような表情から一転、怒りや苦悩を爆発させるシーンに至るまで、観客を惹きつけて離さない説得力を放っている。
主な登場人物と演者の魅力
- ジャユン(キム・ダミ)
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記憶を失いながらも平穏に暮らしていた少女。物語が進むにつれて隠された能力と過去が浮かび上がる。演じるキム・ダミは本作が映画初出演とは思えない圧巻の演技力を見せ、静と動を巧みに使い分ける表現力で観客を魅了する。
- ドクター・ペク(チョ・ミンス)
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ジャユンの過去に深く関わる研究者であり、施設を運営する中心人物。冷酷かつ執拗な性格を持ちながらも、どこか人間的な弱さも感じさせる存在。チョ・ミンスの重厚な演技がキャラクターの恐ろしさと威圧感を際立たせている。
- ノーブルマン(チェ・ウシク)
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笑顔の奥に狂気を秘めた謎の青年。施設の命令でジャユンを追跡するが、どこか飄々とした雰囲気が逆に不気味さを増している。チェ・ウシクは『パラサイト』とは全く異なる冷酷な役どころを見事に演じ分けている。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
ゆったりとしたヒューマンドラマや癒し系の作品を求めている人。
スプラッターや暴力描写に強い抵抗がある人。
物語の中で明確な善悪や救いを求める人。
前半の静かな展開に退屈を感じやすい人。
韓国映画特有のテンションや演出スタイルに馴染みがない人。
社会的なテーマや背景との関係
『The Witch/魔女』は、単なる超能力バトル映画にとどまらず、人体実験や政府主導の機密プロジェクトといった現実の歴史や社会問題と通じるテーマを内包しています。
ジャユンという少女が「兵器」として育成されてきた過程は、個人の尊厳や自由が国家や組織の論理によって踏みにじられるという、現代社会における人権問題への警鐘にも見えます。とりわけ幼い子供が支配構造の中で自我を持つことなく利用される構図は、過去の軍事政権下における倫理なき実験や、現代のテクノロジー分野でも議論される「人間の道具化」にも通じるものがあります。
また、研究者であるドクター・ペクがジャユンを「対象」としてしか扱わない描写には、科学と倫理の境界線というテーマが強く反映されています。技術や知識が暴走したときに何が起きるのか――それはフィクションの中だけでなく、現代のAIや遺伝子操作、監視社会といったリアルな課題にも結びついているのです。
そして、ジャユン自身が記憶を失ったまま日常に順応していたという背景には、「個人のアイデンティティはどこから生まれるのか」「人は生まれか育ちか」という古くからの問いも潜んでいます。これは単にエンタメ性のある展開の裏側に、人間存在の根源に迫るような問いを投げかけているとも言えるでしょう。
このように本作は、娯楽作品としての側面を持ちながらも、国家、倫理、記憶、アイデンティティといった現実社会と深く結びついたテーマをいくつも含んでおり、鑑賞後にふと立ち止まって考えさせられる余韻を残すのです。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『The Witch/魔女』は、その物語展開と同様に映像演出も二面性を持っています。前半は田舎町の牧歌的な雰囲気が漂い、柔らかな光や穏やかな音楽で構成されたシーンが続きますが、中盤以降、物語が大きく転調するとともに一転して緊迫感に満ちた映像へと切り替わります。
特筆すべきは、超能力を使ったバトルシーンの迫力。高速移動や衝撃波のような演出は、VFXを効果的に使いつつもリアリティを損なわない絶妙なバランスで描かれており、観る者の没入感を一気に高めます。カメラワークや編集も洗練されており、特に室内戦闘シーンでの追いカメラやロングテイク風のカットなど、視覚的にも非常に刺激的です。
一方で、作品には流血や暴力描写がかなり多く含まれている点に注意が必要です。銃撃や殴打、人体が吹き飛ぶといったシーンが頻繁に登場し、精神的にも肉体的にも「痛み」を感じさせるような演出が多く盛り込まれています。あくまで物語上の必要性に基づいた演出ではありますが、グロテスクな表現に敏感な人や苦手な方は視聴前に心構えが必要です。
性的な描写については直接的なシーンはなく、その点での過激さはありません。しかし、人間を「道具」として扱う非人道的な描写が多く含まれており、精神的な重たさを感じる要因となっています。
音響面でも、本作は効果的に緊張感を演出しています。沈黙の使い方や、突如挿入される大音量の効果音など、視覚と聴覚の両面で“驚き”と“恐怖”を与える演出が随所に施されています。
総じて『The Witch/魔女』は、映像的なクオリティの高さと同時に、観る人を選ぶ強烈な刺激性を併せ持った作品であると言えます。視聴にあたっては、その世界観に深く浸かる覚悟と、一定の心の準備が求められるかもしれません。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『The Witch/魔女』は、独立したオリジナル作品であり、原作漫画や小説は存在しません。そのため、原作との違いを気にする必要なく、映画そのものの世界観を純粋に楽しめる構成になっています。
また、シリーズとしての企画は続編へと展開されており、本作がその“起点”となる重要な位置づけです。ただしスピンオフ作品やドラマ展開などは今のところ確認されていません。
なお、韓国では2025年に放送されたテレビドラマ『The Witch』という別作品が存在しますが、本作とは無関係であり、原作がウェブトゥーン(Web漫画)である点も異なります。タイトルが類似しているため混同しやすいですが、世界観や登場人物に関連性はありません。
関連作品として強いて挙げるとすれば、遺伝子操作・人体実験・超能力といったテーマに近い韓国映画が散見されますが、いずれも本作とは直接的な繋がりはないため、観る順番などに指定はありません。
そのため、シリーズに関しては『The Witch/魔女』から観始めるのが正解であり、知識や事前学習なしでも問題なく物語に没入できます。
類似作品やジャンルの比較
『The Witch/魔女』と近いジャンルやテーマを持つ作品としては、同じく女性が主役のアクションサスペンスである『悪女/AKUJO』や『聖女(Mad Sister)』が挙げられます。これらはどちらも韓国映画らしい激しいアクションと陰鬱な背景を持ち、物語のテンポや演出スタイルも共通しています。
また、ホラー寄りのサスペンスを好む人には『哭声』や『I Saw the Devil』、『A Tale of Two Sisters』などもおすすめです。これらは超常現象やサイコスリラー的要素を含みつつも、登場人物の内面や人間関係の闇を描く点で『The Witch/魔女』と通じるものがあります。
そして、サバイバル性とスリル、さらには暴力描写と感情的な極限状態の演出という点で、新感染 ファイナル・エクスプレスは非常に近い作品です。両者ともに「普通の人間が極限状況に置かれたときにどうなるか」という緊張感の構築が秀逸で、アクションと感情の両面から心を揺さぶられます。
ジャンル的には、超能力アクションにスリラーと人体実験要素が加わったハイブリッド型であるため、単なるエンタメ作品と比べても奥行きがあり、「サイキック×サスペンス×バイオレンス」というカテゴリに惹かれる人には非常に刺さる構成です。
続編情報
『The Witch/魔女』には正式な続編が存在します。その続編は『THE WITCH/魔女―増殖―』というタイトルで、韓国では2022年6月15日に公開されました。
監督・脚本は前作と同じくパク・フンジョンが担当し、制作陣も引き続きGoldmoon Filmが中心となっています。主演は新たにシン・シアが務めており、前作のキム・ダミも一部登場しますが、物語の主軸は“別の彼女(The Other One)”へと移行しています。
本作では、前作で提示された世界観をさらに広げる形で、“魔女ユニバース”としての全体構想が進んでおり、強化された能力者たちや複数の組織の存在が描かれます。アクションの規模も格段にスケールアップしており、より激しいバトルや能力の応酬が展開されるのが特徴です。
ストーリー構成としては前作の直接的な続編にあたり、前作を視聴済みであることが内容理解の助けになりますが、新たな主人公視点で描かれるため、単独でも一定の理解は可能です。
また、今後「The Witch」シリーズがさらなる続編へと展開される可能性については監督のインタビュー等で言及されていますが、2025年8月時点で『Part 3』の具体的な制作発表は行われていません。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『The Witch/魔女』は、アクションやサスペンスといったジャンルの枠を超え、人間の本質や記憶、そして生きる意味を問いかける作品です。
記憶を失った少女が“平凡な生活”を送っていたはずの世界から、ある日突然引きずり出され、自らの過去と正体に直面する――その過程はまるで観客自身が「自分は何者なのか?」と問われているような感覚すら覚えます。
本作が特に秀逸なのは、ただ超能力者同士が戦うといった単純な構図ではなく、自分の意思で「選ぶ」ことの重さを描いている点です。力をどう使うのか、自分のルーツをどう受け止めるのか。その選択の一つひとつが、ジャユンというキャラクターの深みとなり、同時に観る者の胸にも問いとして突き刺さってきます。
また、冷酷な施設、暴力的な追跡者、国家的な陰謀といった要素が交錯しながらも、ジャユンが最後まで“人としてどう生きるか”を模索し続ける姿に、観客はどこか救いを感じるのではないでしょうか。
終盤にかけての展開は衝撃的で、単なるスリルや興奮だけでなく、「本当の敵は誰なのか?」「人は運命に抗えるのか?」といった、より深い次元のテーマが静かに浮かび上がってきます。
視聴後に残るのは、ド派手な戦闘シーンの余韻だけでなく、自分がもし同じ状況に置かれたらどうするか、という普遍的な問い。その余韻は観終わったあともじわじわと心に広がり、しばらく離れがたい印象を残します。
『The Witch/魔女』は、単なるジャンル映画としてではなく、“自分とは何か”を静かに見つめ直す機会を与えてくれる、そんな深い問いと余韻に満ちた一作です。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
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物語終盤で明かされる最大のどんでん返し――ジャユンは“記憶喪失の被害者”ではなく、全てを記憶したまま生活していた“加害者側の覚醒者”だったという展開は、観客の前提を大きく裏切るものです。
この構造は、映画序盤で描かれる“家族との穏やかな日常”がまるで嘘のように崩れ去ることで、ジャユンの本質が二重構造で描かれていたことに気づかされます。表面上の「被害者性」が、実は「選ばれた支配者」としての冷徹さにすり替わっていたという演出は、倫理的な問いを突きつけます。
また、彼女が薬を探す理由やテレビ出演の動機も、観客の同情を引くように見えて、すべて“自らの計画を進めるための演技”だったという点が明らかになると、本作はただの復讐譚ではなく「演技された弱さ」と「本性の冷酷さ」のギャップによって成立したサスペンス構造だったと解釈できます。
興味深いのは、ジャユンが自身の力を使う際に何のためらいも見せず、同類の能力者たちを容赦なく倒していく姿です。この点から、「人間の中に眠る破壊性や自己中心性」を象徴しているとも読み取れますし、「生存のためには道徳すら捨てる」という進化論的な比喩とも考えられます。
また、あえて明確に描かれていない“研究組織の目的”や“魔女プロジェクトの全貌”は、観る側に解釈の余地を与えています。続編では新たな魔女が登場することからも、この物語全体が「ジャユンという個人の物語」ではなく、「能力者たちの系譜=魔女ユニバース」の導入部であった可能性も示唆されます。
結果的に本作は、派手なアクションと緻密な伏線が共存する作品であり、一度見ただけでは捉えきれない多層的な構造を持っています。再視聴することで、最初の優しげな表情や些細な台詞の意味が変化して見える――そんな“裏の顔を持つ映画”としての魅力が詰まっているのです。
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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