『ザ・メニュー』とは?|どんな映画?
『ザ・メニュー』は、孤島にある高級レストランを舞台に、次第に狂気を帯びていく“究極のディナー体験”を描いたブラックコメディ・スリラー映画です。
著名なシェフが用意した完璧なコース料理と共に、選ばれた客たちの正体が少しずつ明かされていく構成は、皮肉と緊張感に満ちた不穏な空気を生み出します。
ジャンルとしてはサスペンス、ブラックユーモア、社会風刺を融合させたような独特のトーンを持ち、ミステリアスな雰囲気の中に鋭いメッセージが込められています。
一言で表すなら、「グルメと狂気が交差する、食のサスペンス劇場」とも言える作品です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | The Menu |
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タイトル(邦題) | ザ・メニュー |
公開年 | 2022年 |
国 | アメリカ |
監 督 | マーク・マイロッド |
脚 本 | セス・リーズ&ウィル・トレイシー |
出 演 | レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト、ホン・チャウ |
制作会社 | サーチライト・ピクチャーズ |
受賞歴 | 第80回ゴールデングローブ賞(アニャ・テイラー=ジョイ主演女優賞ノミネート)ほか |
あらすじ(ネタバレなし)
若いカップルのマーゴとタイラーは、遠く離れた孤島にある高級レストラン「ホーソン」を訪れる。そこでは、天才的な料理人ジュリアン・スローヴィクが創り出す、芸術のようなコース料理が提供されていた。
厳選された招待客だけが味わえるその晩餐会には、富裕層や有名人などさまざまな顔ぶれが集まるが、次第にその“特別な夜”にはただならぬ空気が漂い始める――。
果たして、このディナーは単なる食の体験なのか? それとも、その裏に隠された“意図”があるのか?
観る者の好奇心を刺激しながら、物語は静かに、しかし着実に不穏さを増していく。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(4.0点)
映像/音楽
(3.5点)
キャラクター/演技
(4.0点)
メッセージ性
(4.5点)
構成/テンポ
(3.5点)
総合評価
(3.9点)
高級レストランを舞台にした異色のサスペンスでありながら、ブラックユーモアや社会風刺を巧みに取り入れた脚本の完成度は非常に高いと評価できます。とくに、料理と階級意識を重ねたテーマの提示には鋭さがあり、観客に問いを投げかけます。
演技面では、レイフ・ファインズの冷徹で威厳あるシェフ像が圧巻で、アニャ・テイラー=ジョイとの静かな対立も見応えがあります。一方で、映像美や音楽はあくまで機能的であり、突出した印象は残りにくいため、やや点数を抑えました。
構成・テンポは後半にかけてやや単調になる場面もあるものの、観る者を引き込む仕掛けは十分に盛り込まれており、総じて完成度の高い一本です。
3つの魅力ポイント
- 1 – 狂気と美学が共存する料理演出
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劇中に登場するコース料理は、まさに“芸術作品”として描かれています。一皿ごとに意味が込められ、ビジュアル・ストーリーの両面で観客を引き込みます。料理が進むごとに徐々に明らかになる狂気とのコントラストが、緊張感をより引き立てています。
- 2 – 緊張を生む密室構造
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孤島という隔絶された舞台に加え、外部との連絡手段が遮断された密室状態が、物語に張り詰めた空気をもたらします。観客自身も閉じ込められたような没入感を味わいながら、次に何が起きるのかという不安と好奇心を煽られます。
- 3 – 社会風刺の鋭さと皮肉なユーモア
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登場人物の多くは“上流階級の象徴”として描かれており、その傲慢さや偽善を鋭く風刺しています。作品全体に漂うブラックユーモアが、社会的なメッセージを重たくなりすぎずに伝えており、観る者の笑いと皮肉の感情を絶妙に揺さぶります。
主な登場人物と演者の魅力
- ジュリアン・スローヴィク(レイフ・ファインズ)
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孤島の高級レストラン「ホーソン」の天才シェフ。圧倒的なカリスマ性と狂気を兼ね備えた存在であり、彼の“芸術としての料理哲学”が物語の核となります。演じるレイフ・ファインズは、その静かな威圧感と制御された狂気を見事に体現。言葉数の少なさで逆に観客を圧倒する圧巻の存在感を放っています。
- マーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)
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招待客のひとりとしてレストランを訪れる若い女性。彼女の素性や反応は他の客とは異なり、物語に緊張感と視点の多様性を与えます。アニャ・テイラー=ジョイは、その独特な瞳と鋭い表情を活かし、観客に「何かが違う」と直感させる演技力で作品を牽引。冷静さと不安定さを絶妙に共存させた演技は必見です。
- タイラー(ニコラス・ホルト)
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マーゴの同伴者で、料理マニアの青年。シェフ・スローヴィクに憧れを抱き、盲目的に信奉する姿は、グルメ文化への皮肉を象徴する存在でもあります。ニコラス・ホルトは、知識と現実の乖離に苦しむ“滑稽さと悲しさ”をコミカルかつ繊細に演じ、観る者に複雑な感情を抱かせます。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
テンポの速い展開や派手なアクションを期待している人
料理映画としての癒しや美食的な喜びを求めている人
ブラックユーモアや風刺表現に抵抗がある人
物語の背景を深く読み解くよりも、明快なストーリーを好む人
残酷描写や不快感を含む演出に敏感な人
社会的なテーマや背景との関係
『ザ・メニュー』は、高級レストランを舞台にしたスリラーであると同時に、現代社会への鋭い風刺を内包した作品です。特に、本作に登場する“選ばれた客”たちは、それぞれが富裕層や芸術消費層、業界人、評論家といった象徴的な立場にあり、彼らに向けられるシェフの態度や料理の内容は階級格差や消費社会への批判として読み解くことができます。
たとえば、料理を写真で記録し食体験を”記録”としてしか味わわない若者、金に物を言わせてただ楽しみに来た富裕層カップル、自分では何も生み出さないのに批評だけする評論家——それぞれが、現代社会の「作り手」ではない側の人々を象徴しています。そんな彼らを相手に、スローヴィクは“食”というもっとも根源的な行為を通して、「本物とは何か」「創作とは何のために存在するのか」を突きつけるのです。
また、劇中で描かれる料理や儀式の演出は、サービス業に従事する者が抱えるストレスや被支配的な構造を暗喩しているとも取れます。厨房で統率を取りながらも厳格に管理されるスタッフたちの姿は、現代の労働構造やサービス業界の過酷な現実を思わせるリアリズムを持っています。
そして、マーゴという異物的な存在を登場させることで、観客に“共感する側”の視点を与え、彼女とともにこの異常な空間を観察・理解させていく構成も巧妙です。単なるホラーやサスペンスとしてではなく、「食」という身近なテーマを通じて、社会階級・消費・労働・芸術の意味までを多層的に掘り下げていく点において、本作は極めて知的で現代的な問題意識を持った作品と言えるでしょう。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『ザ・メニュー』の映像表現は、一見すると洗練されたグルメ映画のような端正な美しさを湛えています。料理のシーンでは、カメラワークやライティングが美食番組さながらのリアルさを演出し、皿の上の芸術としての料理が極限まで美しく描かれています。
しかしながら、映画が進むにつれてその美的演出は次第に“狂気”と混ざり合い、視覚的な違和感や緊張を伴う構図へと変化していきます。対称的で整った構図の中に潜む不穏さ、唐突に訪れる静寂や間の演出は、ホラー的手法を取り入れながらも過度なショック描写に頼らず、心理的な圧迫を生み出します。
刺激的なシーンとしては、突発的な暴力や自死・拘束・脅迫といった要素が含まれていますが、これらは直接的な残虐描写というよりも、精神的にジワジワと迫る不快感や緊張感によって作用します。スプラッター的な血しぶきや視覚的グロテスクさは控えめで、R指定などには該当しませんが、感受性の強い方にとっては精神的に重く感じる場面があるかもしれません。
また、性描写や性的暴力は明示的には登場しないものの、台詞や設定において“性的な立場の搾取”や“関係性の支配”といったニュアンスが暗示される場面もあり、観る側に一定の理解力と読解力が求められる構成となっています。
視聴時の心構えとしては、美食と狂気、芸術と暴力、洗練と野蛮が入り混じるジャンルの交差点にある作品であることを理解した上で鑑賞することで、より深く世界観に没入できるでしょう。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『ザ・メニュー』は完全オリジナル脚本による作品であり、原作となる小説や前作、シリーズ化された作品は存在しません。そのため、観る順番などを気にせず本作単体で楽しむことができます。
一方で、映画ファンの間では料理やレストランを題材にした異色の作品として、いくつかの先行作が比較対象として挙げられています。代表的なものが、ピーター・グリーナウェイ監督による『コックと泥棒、その妻と愛人』(1989)。こちらも料理と暴力、階級意識を結びつけた挑戦的な作品として知られており、本作と通じるテーマ性を持っています。
また、本作の監督マーク・マイロッドは、HBOのドラマシリーズ『メディア王 〜華麗なる一族〜(Succession)』にて演出・製作を手掛けており、富裕層に対するアイロニーや緊張感ある対話劇の演出手腕は、この映画にも共通して見られる特徴です。『ザ・メニュー』に惹かれた方は、同シリーズをチェックしてみるのも良いかもしれません。
スピンオフやメディア展開(ノベライズ、ドラマ化など)については、現時点では公式な動きは見られていませんが、テーマ性の汎用性や舞台設定の独自性から、今後の展開に期待を寄せる声もあるようです。
類似作品やジャンルの比較
『ザ・メニュー』のように、閉鎖空間・ブラックユーモア・社会風刺を組み合わせた作品は、近年増加傾向にあり、以下のような映画がしばしば比較対象として挙げられます。
『Ready or Not』(レディ・オア・ノット)は、上流階級の屋敷に招かれた女性が“命がけのかくれんぼ”に巻き込まれるというサスペンスホラー。富裕層の異常性と密室サバイバルという構造が、『ザ・メニュー』と強く重なります。ブラックユーモアの質も近く、テンポ良く観られる点も共通しています。
『ゲット・アウト 』は、人種問題を巧みに絡めた社会派スリラーで、表向きの礼儀正しさの裏にある狂気や差別構造をあぶり出す点で共通点があります。本作と同じく、“受け入れる側の異常性”を描いた寓話的な構造が魅力です。
そのほかにも、『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』『The Invitation』『Fresh』『プラットフォーム』といった作品は、それぞれに閉鎖空間・階級批判・不穏なディナーといった要素を持ち、いずれも本作を楽しめた人にはおすすめできるラインナップです。
まとめると、『ザ・メニュー』が持つ「知的なブラックコメディ」×「社会風刺」×「ミステリー的サスペンス」という要素は、ジャンルを超えて魅力的に作用しており、他の作品でも似たような興奮や皮肉なユーモアを楽しみたい方にぴったりです。
続編情報
現時点(2025年7月時点)では、『ザ・メニュー』の正式な続編制作は発表されていません。
続編構想について、脚本家や制作陣から明確なコメントは出ておらず、現段階ではあくまでファンやメディアの間での推測の域を出ていません。作品自体が単体完結型として設計されていることや、物語の構造上続編展開が難しいとされている背景もあります。
また、続編タイトルや公開時期、主要キャスト・監督の続投に関する公式情報も一切存在しておらず、スピンオフやプリクエルといった派生作品の構想も確認されていません。
ただし、映画のヒットや話題性から「続編が望まれている作品」のひとつであることは確かであり、今後のインタビューや業界動向次第では、何らかの新展開がある可能性は否定できません。
現時点での結論としては、続編情報はありませんが、完全に否定されているわけではなく、今後の動向に注目です。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『ザ・メニュー』は、一見すると料理をテーマにしたミステリースリラーでありながら、その本質は社会風刺と人間心理の寓話にあります。極限まで洗練された美食と、そこに集う“選ばれた”人々。その表面の美しさの奥には、「創作は誰のためにあるのか」「欲望の果てにあるものとは何か」という鋭い問いが隠されています。
作品は、支配と被支配、創造と消費、芸術と商業の関係性を見つめ直させるような構成になっており、視聴者はレストランの客としてではなく、まるで自分自身が「誰の側に立っているのか」を問われるような感覚を覚えるでしょう。
とくにマーゴという“異物”の存在は、本作の構造を揺さぶる重要な視点として機能しています。彼女のまなざしは、観客の感情を代弁し、正義・道徳・選択といった倫理的な問題にも向き合わせてくれます。
ラストシーンに残された静けさと諧謔の余韻は、単なるエンタメの終着ではなく、「この世界の歪さに私たちはどう向き合うべきか」という哲学的な反芻を呼び起こします。
“美とは誰のためにあるのか?” “芸術は苦しみの上に成立してよいのか?”――本作が投げかける問いは、スクリーンの外にいる私たちに向けられたものでもあります。
重くも、どこか風刺的で可笑しみのあるその後味。一晩じっくりと噛みしめたくなる一皿のような作品体験が、きっと記憶に残り続けることでしょう。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
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物語の終盤、マーゴがスローヴィクに「ただのチーズバーガーが食べたい」と伝える場面は、非常に象徴的です。これは単なる好みの表明ではなく、彼女が“消費者”ではなく“生活者”としての自分を取り戻す意思表示だと解釈できます。
一方で、スローヴィクが“芸術”にとりつかれた狂気の料理人として描かれていながら、最後にはそのチーズバーガーを作ってしまうという展開には、彼自身の人間性の名残が垣間見えるとも言えるでしょう。彼は創造の喜びを忘れていたのか、それとも客に合わせて生きる職人であることを思い出したのか――観る者によって解釈は分かれるはずです。
また、劇中で登場する客たちは、実在の社会の縮図と考えることもできます。評論家、投資家、虚栄心の強いセレブ、無邪気なオタク――彼らはどれも「文化を消費する側」であり、創作者であるスローヴィクから見れば“料理を愛していない客たち”なのです。この対立構造は、現代のコンテンツ社会における創作者と消費者の断絶を象徴しているのかもしれません。
さらに、「誰も逃げない」「誰も抵抗しない」という客たちの態度にも注目したいところです。彼らは本当にスローヴィクに支配されていたのか、それともすでに自らの罪や偽善を受け入れ、どこかで“罰を望んでいた”のか?という問いも浮かび上がります。
本作は、単なるグルメスリラーではなく、観る者に「私たちは何を食べ、誰の料理を評価しているのか?」という問いを突きつける作品です。あなたはこの物語の“どの席”に座っていたと思いますか?
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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