『死霊館 エンフィールド事件』とは?|どんな映画?
『死霊館 エンフィールド事件』は、実在の心霊現象を題材にしたホラー映画であり、『死霊館』シリーズの第2作にあたる作品です。1970年代後半のロンドン郊外エンフィールドで起きた“ポルターガイスト事件”を基に、心霊研究家エド&ロレイン・ウォーレン夫妻が再び恐怖に立ち向かう姿を描いています。
前作『死霊館』の重厚な恐怖演出を継承しつつ、信仰・家族愛・トラウマといったテーマを丁寧に織り込み、単なる心霊ホラーを超えたドラマ性を持つのが特徴です。監督は引き続きジェームズ・ワンが務め、緊張感と人間ドラマを両立させた映像体験を提供します。
一言で言うなら、「恐怖の中に温もりが宿る、実話ベースの極上ホラー」。実際の事件と映画的演出が見事に融合し、観る者の心を深く揺さぶる作品です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
| タイトル(原題) | The Conjuring 2 |
|---|---|
| タイトル(邦題) | 死霊館 エンフィールド事件 |
| 公開年 | 2016年 |
| 国 | アメリカ |
| 監 督 | ジェームズ・ワン |
| 脚 本 | チャド・ヘイズ、ケイリー・W・ヘイズ、ジェームズ・ワン、デヴィッド・レスリー・ジョンソン=マクゴールドリック |
| 出 演 | ヴェラ・ファーミガ、パトリック・ウィルソン、マディソン・ウルフ、フランシス・オコナー、サイモン・マクバーニー |
| 制作会社 | ニュー・ライン・シネマ、アトミック・モンスター、ザ・サフラン・カンパニー |
| 受賞歴 | サターン賞 ホラー映画賞ノミネート、エンパイア賞 ホラー映画賞ノミネート など |
あらすじ(ネタバレなし)
1977年、ロンドン郊外のエンフィールド。シングルマザーのペギーと4人の子どもたちは、老朽化した一軒家で静かな生活を送っていた。しかしある夜、娘ジャネットの部屋で家具が勝手に動き出すという奇妙な現象が発生し、家族の日常は一変します。
次第に家中で起こる不可解な音、誰もいないのに響く声、そして見えない“何か”の存在――。恐怖に怯える家族を救うため、心霊研究家エド&ロレイン・ウォーレン夫妻が現場に呼ばれることに。
彼らが目にしたのは、単なるポルターガイストを超えた邪悪な力の影。信仰と愛、そして現実と超常現象の狭間で、ウォーレン夫妻は再び人知を超えた闘いに挑むことになります。
“実際に起きた事件”を基に描かれる本作は、静寂と恐怖が交錯する中で、人間の「信じる心」を問う物語でもあります。
予告編で感じる世界観
暗がりに潜む“見えない存在”の気配、家族を包む不安と祈り、そしてウォーレン夫妻の覚悟――日本向け予告編は、本作の冷たい恐怖と温かな人間ドラマの同居を端的に伝えます。物音ひとつ、視線ひとつが不穏へと変わる編集とサウンド設計により、鑑賞前から緊張感が高まるはずです。
※以下はYouTubeによる予告編です。
本編視聴
独自評価・分析
ストーリー
(3.5点)
映像/音楽
(4.5点)
キャラクター/演技
(4.0点)
メッセージ性
(3.5点)
構成/テンポ
(3.5点)
総合評価
(3.8点)
実話ベースの骨子は明快で、家族を軸に恐怖を積み上げる王道構成。中盤以降に宗教的モチーフや複数の怪異要素が重なり、テーマの焦点がやや散漫になるためストーリーは3.5とした。
暗所の階調管理、長回しを活かしたサスペンス構築、音響効果の抑揚はシリーズ屈指。驚かせ一辺倒でなく「聞かせる沈黙」を設計できており映像/音楽は4.5と高評価。
ウォーレン夫妻の献身、姉妹の心理変化、母親の疲弊と決意が丁寧。主役陣の安定感に加え、子役の表情演技が物語を牽引するためキャラクター/演技は4.0。
「信じること」と「家族の連帯」を正面から描く姿勢は好感。一方で、実録性と映画的誇張のバランスに賛否が分かれる余地がありメッセージ性は3.5に留めた。
恐怖シークエンスの密度は高いが、クライマックスに至る導線で小エピソードが蓄積し、勢いが部分的に停滞。編集の引き算が効けば更に締まる印象で構成/テンポは3.5。
総じて、技巧の高さが際立つ良質ホラー。圧倒的な映像・音響設計が体験を底上げし、弱点も大きく覆う。厳しめ採点でも総合3.8は安定した評価と言える。
3つの魅力ポイント
- 1 – 実話を基にした圧倒的リアリティ
-
本作は1977年に実際に起きた「エンフィールド事件」をもとに構築されており、登場人物や現場の描写にリアルな説得力があります。単なるホラー演出にとどまらず、“本当に起きたかもしれない”という現実味が恐怖を倍増させます。
- 2 – 心理描写と家族愛の融合
-
恐怖の中心には、母と子の絆や信じ合う心が描かれています。ジャネットが抱える不安や孤独をウォーレン夫妻が支える構図は、ホラーでありながら深い人間ドラマを形成。「愛が恐怖を超える瞬間」が本作の最大の感動ポイントです。
- 3 – 音と影が生む究極のサスペンス
-
ジェームズ・ワン監督の代名詞でもある“静寂と間”の使い方が光ります。突然の音や暗闇の奥の気配が、視覚ではなく感覚で恐怖を訴える構成。音響デザインとカメラワークの巧妙な連携により、観客自身が家の中に取り込まれる錯覚を覚えるほどです。
主な登場人物と演者の魅力
- エド・ウォーレン(演:パトリック・ウィルソン)
-
超常現象研究家であり、妻ロレインと共に数多くの怪異事件を調査してきた人物。パトリック・ウィルソンは、エドの誠実さと内に秘めた信念を繊細に表現し、ただのホラー主人公ではなく“人としての強さ”を感じさせます。ロレインとの信頼関係を通じて、恐怖の中にも温かな愛情が光る存在です。
- ロレイン・ウォーレン(演:ヴェラ・ファーミガ)
-
霊感を持つエドの妻であり、精神的支柱として事件解決を支える存在。ヴェラ・ファーミガは、恐怖と対峙するロレインの静かな強さと慈愛を見事に演じ、シリーズ全体の“魂”を体現しています。彼女の視線や仕草一つひとつが、物語の緊張感を引き上げています。
- ジャネット・ホジソン(演:マディソン・ウルフ)
-
エンフィールド家の次女で、事件の中心となる少女。わずか12歳にして、憑依と疑念の狭間で苦しむ難しい役柄を見事に演じ切りました。マディソン・ウルフの表情と声の変化の巧みさは圧巻で、観る者に「本当に何かに取り憑かれているのでは」と思わせるほどの説得力を持ちます。
- ペギー・ホジソン(演:フランシス・オコナー)
-
貧困の中で4人の子どもを懸命に育てる母親。怪奇現象に怯えながらも、子どもたちを守ろうとする姿が印象的です。フランシス・オコナーは、母としての苦悩と勇気をリアルに演じ、物語に深い人間味を与えています。
視聴者の声・印象





こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
心霊描写や悪魔的存在が苦手で、宗教的要素を含むホラーに抵抗がある人。
派手なアクションやテンポの速い展開を期待している人。
リアルな恐怖よりもエンタメ性やコメディ要素を求める人。
シリーズの前作『死霊館』を観ていないため人物関係が掴みにくいと感じる人。
長尺でじっくり描かれる心理的な恐怖より、短時間でスカッとする刺激を求める人。
社会的なテーマや背景との関係
『死霊館 エンフィールド事件』が描く恐怖は、単なる心霊現象ではなく1970年代の社会不安や家族の崩壊と深く結びついています。舞台となるロンドン郊外エンフィールドは、当時のイギリスで経済格差と失業問題が顕在化し、労働者階級が厳しい生活を強いられていた地域でした。貧困や孤立、そして“信じてもらえない”という社会構造的な孤独が、物語全体に影を落としています。
母ペギーはシングルマザーとして家族を守る一方で、社会からの支援も信頼も得られない現実に直面します。彼女の姿は、当時の英国で増えつつあった女性の自立と社会的圧力を象徴しています。また、子どもたちが抱える恐怖や不安は、家庭崩壊や宗教的価値観の揺らぎを反映しており、単なる怪奇現象の被害者ではなく、社会の歪みの犠牲者としても描かれています。
さらに、ウォーレン夫妻という“信仰”の象徴が英国社会に介入する構図は、信念と科学、信仰と懐疑の対立を示しています。心霊現象を信じる者と否定する者が対立する様は、現代にも通じる「何を信じるか」という問いを投げかけます。
本作は、恐怖を通して人間社会の脆さと希望を映し出す“社会的ホラー”でもあります。貧困・孤立・信頼の崩壊というテーマは、現代社会にもそのまま当てはまり、「見えないものをどう受け入れるか」という普遍的な課題を静かに訴えかけています。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『死霊館 エンフィールド事件』は、ジェームズ・ワン監督ならではの緻密な映像設計と心理的な恐怖演出が際立つ作品です。派手なスプラッター描写や過剰な流血はほとんどなく、視覚的な暴力よりも「見えない何か」を意識させるカメラワークと音響設計が恐怖を構築しています。暗闇や静寂、そして一瞬のノイズや影が観る者の想像を刺激し、心拍数を上げていく構成です。
特筆すべきは、照明と色彩のコントロールです。冷たい青と鈍いグレーを基調としたトーンが全体を覆い、家という“安全な空間”が次第に不安の象徴へと変化していく過程を描いています。加えて、ワン監督が得意とするロングショットの移動カメラが臨場感を高め、観客自身が現場に迷い込んだような没入感を生み出します。
音響面では、低周波のノイズや重低音の響きが“存在しない存在”を感じさせ、突然の大音量よりも「静寂の後の微かな変化」で恐怖を演出。これは近年のホラーの中でも非常に洗練された手法であり、耳を澄ませるほどに恐怖が増すという逆説的な体験を提供します。
一方で、悪魔憑きの描写や祈りの儀式など宗教的要素が含まれており、精神的に緊張感の強いシーンが続きます。グロテスクな表現は控えめですが、心理的な圧迫感や不安感が持続するため、ホラー耐性の低い視聴者には負担に感じる場合もあるでしょう。
総じて本作は、視覚と聴覚を巧みに操りながら、観客の“恐怖の想像力”を引き出す映像体験です。刺激的というよりも「静かに恐ろしい」。観る際は、部屋を暗くして没入するのも良いですが、気分が沈みやすい人は明るい環境での鑑賞をおすすめします。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
本作は、心霊研究家ウォーレン夫妻の実録ケースを基に描く〈死霊館ユニバース〉の一作です。前作にあたる『死霊館』で夫妻の人物像と捜査手法が確立され、本作『死霊館 エンフィールド事件』では英国エンフィールドでのポルターガイスト事案に焦点が移ります。シリーズ全体は“実話ベースの捜査劇 × ゴシックな悪魔学ホラー”というトーンで統一されています。
スピンオフ/世界観を共有する作品としては、人形にまつわる恐怖を掘り下げる『アナベル 死霊館の人形』『アナベル 死霊人形の誕生』『アナベル 死霊博物館』、修道院を舞台に“起源”を辿る『死霊館のシスター』『死霊館のシスター 呪いの秘密』、民間伝承を扱った『ラ・ヨローナ 〜泣く女〜』などが挙げられます。いずれも本編で示唆されたアイテム・人物・出来事を起点に広がる物語で、ユニバース全体の因果関係を補強します。
観る順番の目安は2通りあります。初見の方には、演出と情報開示が最適化された公開順(『死霊館』→『死霊館 エンフィールド事件』→関連スピンオフ…)がおすすめ。一方で、世界観の因果を整理したい場合は時系列順(『死霊館のシスター』→『アナベル 死霊人形の誕生』→『アナベル 死霊館の人形』→『死霊館』→『アナベル 死霊博物館』→『死霊館 エンフィールド事件』→…)という手もあります。
原作・取材資料との関係として、映画はウォーレン夫妻のケースファイルや当時の報道・証言を参照しつつ、映画的な演出を加えた“実話ベースのフィクション”です。実際のエンフィールド事件で語られた現象(謎の声、家具の移動、少女への憑依疑惑など)は骨子として踏襲されますが、恐怖演出のタイミングや象徴的なビジュアルは物語効果を高めるために再構成されています。
なお、続編情報(シリーズのその後)は本見出しでは扱いません。続く見出しで整理します。
類似作品やジャンルの比較
『死霊館 エンフィールド事件』と同じく実話ベースの心霊ホラーとして語られる代表作に、『エクソシスト』『アナベル 死霊館の人形』『悪魔の棲む家』などがあります。いずれも「信仰」「家族」「悪魔祓い」を軸に、現実と超常の狭間で人々が追い詰められていく構図を共有しています。
特に『エクソシスト』は宗教的儀式のリアリティと信仰の葛藤を真正面から描き、本作がその精神的継承者として位置づけられます。一方で『死霊館 エンフィールド事件』は、恐怖の中に愛と信頼の物語を重ねる点でよりヒューマニズムが強調されており、冷徹な悪魔祓い映画とは異なる温度感を持っています。
また、近年の“静かなホラー”の潮流においては『ヘレディタリー/継承』『イット・フォローズ』などと比較されることもあります。これらの作品が心理的トラウマや世代間の恐怖を象徴的に描くのに対し、『死霊館 エンフィールド事件』は古典的なゴシック演出で観客の想像力を使わせる恐怖を再定義しています。
総じて、派手な刺激よりも雰囲気と構成で魅せるホラーが好きな人には、『死霊館 エンフィールド事件』は『ヘレディタリー/継承』や『ババドック 暗闇の魔物』と同じ系譜に位置する一本としておすすめできます。
続編情報
『死霊館 エンフィールド事件』の直接的な続編として、シリーズ第3作『死霊館 悪魔のせいなら、無罪。』が公開されています。本作の出来事の後、ウォーレン夫妻が実際に関わった「アーニー・ジョンソン事件」を題材にしており、アメリカで起きた“悪魔の憑依を理由にした殺人裁判”という史上初のケースを描いています。
監督はシリーズの生みの親であるジェームズ・ワンから、脚本家でもあったマイケル・チャベスにバトンタッチ。主演は引き続きヴェラ・ファーミガとパトリック・ウィルソンのコンビが続投し、ウォーレン夫妻の物語をさらに掘り下げています。恐怖演出はより現実寄りのミステリー色が強まり、心理ドラマ的要素が増しています。
また、ユニバース全体としては『死霊館のシスター 呪いの秘密』などスピンオフも継続的に展開されており、今後も新作の可能性が示唆されています。公式には次の本編作は発表されていませんが、ジェームズ・ワンは「ウォーレン夫妻のさらなる未解決事件を描く余地がある」と発言しており、シリーズの継続は十分に期待できる状況です。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『死霊館 エンフィールド事件』が残すのは、恐怖の余韻だけではありません。最も強く響くのは、「何を信じ、誰を支えるか」という人間的な問いです。怪異の正体を暴く過程で浮かび上がるのは、貧困や孤独、周囲の不信といった現実の痛みであり、映画はそれらが“見えない何か”を呼び寄せる土壌になり得ることを物語的に示します。恐怖を克服する鍵として置かれているのは、派手な儀式ではなく、互いを信じ抜く意志と寄り添いです。
物語の核を成す家族の姿は、日常の小さな綻びがいかに容易く広がるかを教えてくれます。子どもたちの不安、母の疲弊、外部からの猜疑――そのどれもが、超常現象の“原因”と“結果”の境界を曖昧にし、観客に「恐怖は本当に外部から来たのか、それとも内側から増幅されたのか」と自問させます。信仰の有無にかかわらず、信じ合う関係性が人を現実へ引き戻すアンカーになり得る、という視点は本作の温度を決定づけています。
演出面では、静寂や影を用いた持続的な緊張が、単発の驚かしを超えて“体感としての恐怖”を生み出しました。暗闇は不安の色で満ちていますが、そこに差し込む小さな灯り――家族の声、手の温度、祈りの言葉――が、観る者の視線を希望へと導きます。言い換えれば、本作の恐怖は“奪う”だけでなく、「寄り添うことの力」を照らし返すための装置でもありました。
鑑賞後に残るのは、事件の真偽よりも、「信じるという行為は、誰の、何のためにあるのか」という普遍的なテーマです。正しさの基準が揺らぎやすい時代だからこそ、疑いと確信の間にある細い綱を、私たちはどう渡るのか。恐怖の只中で差し出された手を、私たちは掴めるのか――その問いが、静かに心に居座ります。
総じて本作は、実話ベースの枠組みと古典的ホラーの文法を引用しながら、“人を支えるのは人”という当たり前で強い真理を再確認させる一本でした。エンドロール後、ふと部屋の灯りを少しだけ明るくしたくなる――それは恐怖から逃げるためではなく、誰かと同じ光の下に立ち会いたくなるからかもしれません。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
OPEN
本作『死霊館 エンフィールド事件』は、単なる心霊ホラーの枠を超えて「信じることの力」を描いた作品と解釈できます。終盤、ロレインが少女ジャネットを救う場面では、信仰の言葉そのものよりも、家族や愛の絆が悪霊に対抗する「実在の力」として機能しています。ここには、恐怖よりも人間の内なる光に焦点を当てたジェームズ・ワン監督の哲学が見えます。
また、悪霊バルクを“操る存在”として「ヴァラク」という名が明かされることは、本作の重要な転換点です。シリーズ全体で見ると、このヴァラクは『死霊館のシスター』へと繋がる伏線でもあり、ユニバースの核心を象徴する存在と言えます。つまりエンフィールド事件は、ウォーレン夫妻とヴァラクの因縁を初めて明示した作品であり、後の展開の“起点”となっています。
さらに興味深いのは、悪霊の出現が家族の“悲しみ”や“孤独”を餌にしているという構造です。ジャネットの苦しみは単なる超常現象ではなく、貧困と孤立が生んだ心の叫びでもあります。監督はその心理をホラー表現と重ね合わせることで、観客に「恐怖とは何か」という根源的な問いを投げかけているのです。
一方、ラストでロレインがエドに「あなたは神に守られている」と語る場面は、信仰そのものよりも“人を信じる”という愛の形を象徴しています。悪魔が敗れたのは祈りの力ではなく、互いを信じる心だった――その点で本作は、恐怖の中に希望を灯す“スピリチュアル・ホラー”として完成されています。
観る人によっては、事件の真偽よりも「何を信じるか」「誰を救うか」という哲学的な余韻が残るでしょう。『死霊館 エンフィールド事件』は、単なる恐怖譚ではなく信念と愛の証明の物語なのです。
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