『Mr.ノーバディ』とは?|どんな映画?
『Mr.ノーバディ』は、元殺し屋の男が静かな日常を捨て、再び壮絶な戦いに身を投じていくアクション映画です。
ジャンルとしてはアクションやサスペンスに分類され、全編にわたって緊張感あふれる展開とスタイリッシュなバイオレンスが特徴。見た目は冴えない中年男が、実は圧倒的な戦闘力を秘めているというギャップの妙が大きな魅力です。
一言で表すなら、「誰にも期待されない男が、すべてを破壊するヒーローになる物語」。
『ジョン・ウィック』の脚本家が手がけたことでも話題となり、単なるアクションにとどまらない、ダークユーモアと人間味の混在する新感覚の復讐劇として高く評価されています。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | Nobody |
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タイトル(邦題) | Mr.ノーバディ |
公開年 | 2021年 |
国 | アメリカ |
監 督 | イリヤ・ナイシュラー |
脚 本 | デレク・コルスタッド |
出 演 | ボブ・オデンカーク、コニー・ニールセン、RZA、クリストファー・ロイド ほか |
制作会社 | 87North Productions、Perfect World Pictures |
受賞歴 | 2021年 サターン賞 ノミネート(アクション/アドベンチャー映画主演男優賞) |
あらすじ(ネタバレなし)
平凡な男、ハッチ・マンセル。毎朝決まった時間に目を覚まし、仕事に出かけ、家族との日常を繰り返す。誰の記憶にも残らないような、“何者でもない”存在として暮らしていた。
しかしある夜、家に押し入った強盗事件をきっかけに、ハッチの中で眠っていた何かが目を覚ます。一線を越えてはいけない男が、静かに怒りを爆発させるとき、物語は急加速する。
「なぜこの男は、これほどまでに強いのか?」
彼の過去には、誰もが想像しえない秘密が隠されていた──。
日常と非日常が交錯する中で、観る者はやがて気づく。本当の”平穏”とは、何を意味するのか?
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(3.5点)
映像/音楽
(4.0点)
キャラクター/演技
(4.0点)
メッセージ性
(2.5点)
構成/テンポ
(4.5点)
総合評価
(3.7点)
本作『Mr.ノーバディ』は、単なるバイオレンス映画ではなく、ユーモアとスタイリッシュさを兼ね備えた爽快アクションとして高く評価できる。とくに構成とテンポの良さは特筆すべきで、観る者を飽きさせないスピード感がある。
一方で、ストーリー面ではジャンルの制約上やや既視感が強く、深みやひねりの部分で物足りなさも残る。メッセージ性に関しても明確なテーマ性よりは娯楽に徹している印象が強いため、厳しめに評価した。
主演のボブ・オデンカークの演技やアクションのギャップには目を見張るものがあり、全体として非常に完成度の高いエンターテインメント作品である。
3つの魅力ポイント
- 1 – 冴えない男の大逆転劇
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主人公ハッチは一見どこにでもいる中年男性。しかし、物語が進むにつれ、彼の正体と過去が明らかになる展開にはスカッとするカタルシスがあります。「こんな男がここまでやるのか」と驚かされる、ギャップの妙が魅力のひとつです。
- 2 – 洗練されたアクション演出
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本作のアクションは、ただ派手なだけではなく、肉体の痛みを感じるようなリアルさとスタイリッシュさが融合しています。『ジョン・ウィック』シリーズの脚本家が関わっていることもあり、アクションの見応えは折り紙付きです。
- 3 – コメディ的センスとの絶妙なバランス
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血なまぐさい戦闘シーンが多いにもかかわらず、思わず笑ってしまうブラックユーモアが随所に散りばめられています。深刻になりすぎない絶妙なトーンが、本作をただのバイオレンス映画に終わらせていない理由のひとつです。
主な登場人物と演者の魅力
- ハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)
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平凡な男を装って生きる主人公だが、その実態はかつて恐れられた元凄腕の実行者。ボブ・オデンカークは、これまでのコメディ色の強いイメージを覆し、リアルで痛みを伴うアクションを体当たりで演じ切っている。そのギャップが物語に説得力と緊張感を与えている。
- ベッカ・マンセル(コニー・ニールセン)
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ハッチの妻であり、日常生活を支える存在。家庭の中での微妙な距離感を演じつつも、夫の異変に気づき始める表情の変化が印象的。コニー・ニールセンの知的で落ち着いた佇まいが、作品にリアリティをもたらしている。
- デヴィッド・マンセル(クリストファー・ロイド)
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ハッチの父親であり、老人ホームで静かに暮らしているかに見える人物。だがその正体は…。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドク役で知られるクリストファー・ロイドが、年齢を感じさせないキレのある演技で強烈なインパクトを残す。
- ユリアン・クズネツォフ(アレクセイ・セレブリャコフ)
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ロシアン・マフィアのボスで、本作のメインヴィラン。クラブのオーナーとしての顔の裏に暴力と狂気を秘める。アレクセイ・セレブリャコフは、静と動の落差を自在に操りながら、知性と暴力を併せ持つ悪役像を見事に作り上げている。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
過度にリアルな暴力描写に抵抗がある人や、流血・肉弾戦のシーンが苦手な人。
ストーリーに重厚なメッセージ性や深い心理描写を求める人。
コメディ要素の混在を“トーンのブレ”と感じやすい人。
現実的な設定やリアリティ重視で映画を観たい人。
明確な悪と正義の構図に安心感を求めるタイプの人。
社会的なテーマや背景との関係
『Mr.ノーバディ』は一見すると単なる娯楽性の高いバイオレンス・アクション映画に見えますが、その裏には現代社会における「男らしさ」や「家庭内の役割」に対する問いかけが内包されています。
主人公ハッチ・マンセルは、家族や社会から“無害で役に立たない存在”として扱われる中年男性として描かれます。彼の生活は単調で、誰からも期待されず、自己肯定感を失った状態。しかし、その平穏な日常の裏に隠された過去と怒りが爆発した瞬間から物語は急転し、彼はかつての凄腕として再び表舞台に立つのです。
この構造は、現代の「抑圧された男たちの鬱屈」や、「家庭内での存在意義の希薄さ」といった社会的課題とリンクしています。特に、中年男性が社会的にも家庭内でも“透明化”していくプロセスと、それに抗うように暴力的な手段で自己を取り戻そうとする姿には、現代の都市型孤独や、アイデンティティ喪失の問題が反映されているように見えます。
また、本作は「平凡に見える人間が、実は恐ろしいほどの力を秘めている」という構図を借りて、社会的なレッテル貼りや偏見への皮肉としても機能しています。外見や肩書きで人を判断し、可能性を狭めてしまう現代社会の傾向へのアンチテーゼと捉えることもできるでしょう。
さらに、ハッチが暴力によって自分の存在価値を証明していく様は、現代の“正義のあり方”に対する皮肉でもあります。本来ならば暴力は否定されるべきものですが、本作ではあえてそれを肯定的に描くことで、「誰が悪で、誰が正義か」といった価値観がどれほど曖昧なものであるかを浮き彫りにしています。
結果として、『Mr.ノーバディ』は単なる復讐劇に留まらず、現代における「見えにくい孤独」や「社会からの疎外」というテーマと静かに結びつき、観客にさりげない問題提起を行っている作品だと言えるでしょう。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『Mr.ノーバディ』は、そのジャンルが示す通りバイオレンス描写を前面に押し出したアクション映画です。作中には銃撃戦、肉弾戦、刃物の使用など、直接的かつ容赦ない暴力描写が多く含まれており、特に中盤から後半にかけての戦闘シーンは強いインパクトを持っています。
ただし、その暴力は単なる残虐性を狙ったものではなく、スタイリッシュかつリズミカルな演出で構成されています。殴打音や発砲音、破壊音に至るまで、音響面でも計算された快感を演出しており、まるで音楽のようなテンポでアクションが展開されていく点は本作の大きな特徴です。
演出面では、長回しやスローモーションを多用するのではなく、短く鋭いカット割りとリアルな編集によって、観る者に「自分が巻き込まれている」ような臨場感を与えています。その一方で、手ブレや視界の遮蔽を意図的に使うことで、あえて視覚的な不快感を生む瞬間もあり、それが戦闘の“痛み”をより強く伝える効果を持っています。
注意点として、暴力シーンはR15相当のレベルに達しており、血飛沫や骨折、窒息などの描写がリアルに再現されています。流血や人体破壊といった描写に耐性のない視聴者には強い不快感を与える可能性があるため、事前にその点を理解しておくことが推奨されます。
一方で、性的な描写やホラー的な要素はほとんどなく、あくまで“暴力”に絞った刺激性であるため、ジャンルとしての一貫性は保たれています。全体としては、暴力描写が娯楽として機能するギリギリのラインを巧みに狙った演出設計となっており、「痛快さ」と「苦痛」の境界を楽しめる作品となっています。
視聴時の心構えとしては、「これはただのヒーロー映画ではない」という認識を持つことが重要です。ハッチの暴力は正義ではなく、むしろ抑圧された怒りの解放であり、それをどのように受け止めるかによって本作の印象は大きく変わるでしょう。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『Mr.ノーバディ』はシリーズ作品や原作を持たないオリジナル脚本の映画です。そのため、事前に観ておくべき前作などは存在せず、本作単体で完結したストーリーを楽しむことができます。
一方で、本作の脚本を手がけたデレク・コルスタッドは、『ジョン・ウィック』シリーズでも脚本を担当しており、その影響は随所に見られます。例えば、裏社会を生きる凄腕の男が突如として覚醒し、怒りを爆発させるという構造は極めて類似しており、アクション演出やキャラクター性にも共通点があります。
そのため、『Mr.ノーバディ』は『ジョン・ウィック』シリーズを楽しんだ観客にとっては“精神的スピンオフ”のような感覚で受け取られることも多く、両作を見比べることで脚本家の作風や演出傾向の違いをより深く味わうことができるでしょう。
なお、現時点で漫画・小説・ゲーム化といったメディア展開の情報はなく、映像作品としてのみ成立しているタイトルとなっています。
類似作品やジャンルの比較
『Mr.ノーバディ』は、家族や社会に抑圧された“普通の男”が突如として覚醒し、暴力によって自らの存在意義を取り戻すという構造が大きな特徴です。この点において、最も近い存在とされるのが『ジョン・ウィック』シリーズです。
両作は「かつて裏社会で恐れられた男が、静かな日常を捨てて復讐に立ち上がる」というプロットを共有しており、スタイリッシュなアクションや強靭な主人公像などにおいて明確な共通点があります。一方で、『Mr.ノーバディ』はより家庭や日常のリアルな描写に比重を置いており、コメディタッチやブラックユーモアが随所に見られる点が差別化ポイントとなっています。
また、銃撃戦と肉弾戦を組み合わせたアクション映画としては、『エクスペンダブルズ』シリーズも比較対象として挙げられます。こちらは元傭兵や特殊部隊員たちの群像劇であり、スケールの大きな戦闘や豪快な演出が特徴です。『Mr.ノーバディ』はより個人の内面とコンパクトな空間を活かしたアクションにフォーカスしており、一人の男の物語としての深さが強調されています。
「もし『ジョン・ウィック』が好きなら、本作も刺さるはず」という声が多いのも納得の内容であり、バイオレンス・アクションジャンルの中でも独自の立ち位置を築いた作品と言えるでしょう。
続編情報
『Mr.ノーバディ』には続編が存在します。2021年の第1作の好評を受けて、正式に続編プロジェクトが始動し、すでに撮影を終えた状態で2025年8月27日に日本公開予定であることが発表されています(米国公開は同年8月15日)。
続編のタイトルは現時点では『Mr.ノーバディ2(原題:Nobody 2)』とされており、前作と同じくボブ・オデンカークが主演・プロデューサーとして続投。さらに、父親役のクリストファー・ロイド、妻役のコニー・ニールセンも続投することが発表されています。
監督は前作のイリヤ・ナイシュラーから交代し、アクション演出で定評のあるティモ・ジャヤント(『V/H/S ネクストレベル』など)が新たに起用されています。脚本は引き続きデレク・コルスタッドが担当し、脚本と演出の両面で前作のテイストを引き継ぎながらも、新たな展開が期待されています。
現時点でプリクエルやスピンオフ作品の発表はありませんが、続編ではハッチの過去や“実行者”としての活動歴にさらに踏み込んだ物語が描かれる予定とされており、前日譚的な要素を含む構成になる可能性も示唆されています。
製作会社は前作と同じく87North Productionsが中心となり、撮影は2025年初頭にカナダで実施され、すでにポストプロダクション(編集・仕上げ)段階に入っています。今後、さらなるスピンオフやシリーズ展開が行われる可能性も高まっており、引き続き注目されるシリーズとなっています。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『Mr.ノーバディ』は、静かに日常を送る男が過去の自分と向き合い、再び“何者か”として立ち上がる物語です。派手なアクションやスタイリッシュな演出が目を引きますが、その根底には「自分とは何か」という普遍的な問いが横たわっています。
ハッチ・マンセルというキャラクターは、現代社会においてよく見られる“透明な存在”の象徴です。家族からも職場からも半ば無視され、ルーティンに埋もれて生きる彼の姿は、私たちが気づかぬうちに抱えている孤独や虚無感と重なる部分があります。そんな彼が、ある事件をきっかけに本来の姿を取り戻していく姿は、抑圧からの解放として見ることもできるでしょう。
同時に、暴力を手段として自我を取り戻すという構図には、倫理的な曖昧さも含まれており、「それは本当に正義なのか?」という疑問を観る者に投げかけます。痛快でスリリングな物語でありながら、その裏に潜むテーマは決して軽くありません。
また、作品全体に漂うユーモアとブラックさの混在は、人生の不条理さや人間の矛盾を映し出しているようでもあります。暴力的でありながらもどこか切なく、人間的で、静かな余韻が残る──それがこの映画の持つ独自の魅力です。
あなたにとって、平凡な日常とは本当に「平穏」なのでしょうか?
そして、何かを守るために暴力を選ぶことは、本当に間違いなのでしょうか?
『Mr.ノーバディ』は、アクション映画でありながら、観る者それぞれに問いを残す、静かで力強い一撃のような作品です。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
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本作『Mr.ノーバディ』は、単なる「隠された正体が暴かれるアクション映画」ではなく、実は幾つもの隠喩や裏テーマが仕込まれている点で、深読みの余地がある作品です。
まず注目したいのは、ハッチ・マンセルの「日常」と「暴力」の切り替わり方です。序盤ではゴミ出しを忘れるような凡人として描かれていた彼が、ある日突然スイッチを入れるように暴力的本能を露わにします。このギャップは、単なる脚本的演出ではなく、“家庭という檻”に閉じ込められた本来の自分を解放する儀式にも見えます。
また、ハッチが選ぶ戦いのスタイルにも注目です。彼は常に“殺し”を最小限に抑えようとし、相手を追い詰めながらもどこか人間らしいラインを保とうとしています。これはかつての自分との決別、つまり「暴力を自分のアイデンティティにしない」という新たな選択を意味しているのかもしれません。
父親(デヴィッド)や義弟(ハリー)といった存在も象徴的です。彼らもまた過去に暴力の世界に身を置いており、現在はそれを封印して暮らしているように見えます。しかし必要な時には即座に戦闘態勢に入り、結果的に家族全体が“暴力を選べる家系”であることが明かされます。この構図は、「暴力的資質が遺伝する」という暗喩的なテーマとも読み取れ、倫理的なジレンマを観客に問いかけているのではないでしょうか。
そしてクライマックスで描かれる倉庫での戦い――あれは単なる敵対勢力との決着ではなく、ハッチが「市民としての自分」と「実行者としての自分」を融合させていく過程でもあります。自分の“闇”を否定するのではなく、受け入れたうえで社会の中に立ち返ろうとする姿勢には、希望的な余韻すら漂います。
本作は、暴力を是とするような映画に見えて、実はその裏側で「人は何者として生きるのか」「過去とどう向き合うか」という問いを静かに発しているのかもしれません。観終えたあと、もう一度ハッチの表情や選択を思い返してみると、新たな発見があるかもしれません。
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