『レオン』とは?|どんな映画?
『レオン』は、孤独な殺し屋と少女の心の交流を描いた、リュック・ベッソン監督によるフランス・アメリカ合作のサスペンスアクション映画です。
舞台は1990年代のニューヨーク。静かに生きる殺し屋レオンは、隣人である少女マチルダと出会い、彼女の家族が麻薬取締官によって惨殺されたことをきっかけに、奇妙な共同生活が始まります。年齢も立場も違う2人が、共に過ごす中で徐々に心を通わせていく過程は、暴力と哀しみの中に切なさと温かさを感じさせる作品となっています。
殺伐とした世界観の中に芽生える擬似的な「親子の絆」や「疑似家族」としてのテーマ性、ナタリー・ポートマン演じるマチルダの存在感、ゲイリー・オールドマンによる怪演などが、作品の緊張感と感情の振れ幅を際立たせています。
ジャンルとしては サスペンス と ヒューマンドラマ が中心ですが、アクションや犯罪映画の要素も強く、芸術的なカメラワークと音楽演出がその世界観に深みを与えています。
一言で表すなら、「孤独な殺し屋と少女の心の交差が生んだ、哀しくも美しいバイオレンス寓話」です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
タイトル(原題) | Léon: The Professional |
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タイトル(邦題) | レオン |
公開年 | 1994年 |
国 | フランス、アメリカ |
監 督 | リュック・ベッソン |
脚 本 | リュック・ベッソン |
出 演 | ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン、ダニー・アイエロ |
制作会社 | Gaumont、Les Films du Dauphin、Columbia Pictures |
受賞歴 | 1995年日本アカデミー賞外国作品賞ノミネート、他多数の映画祭でノミネート |
あらすじ(ネタバレなし)
舞台は1990年代のニューヨーク。静かに生きる殺し屋レオンは、冷徹ながらもどこか人間味を感じさせるプロフェッショナル。
ある日、彼の隣人である12歳の少女マチルダが、家族を惨殺されてしまいます。血塗られた運命から逃れようとする彼女が助けを求めた先は、なんとレオンの部屋でした。
最初は距離を置いていたレオンですが、やがてマチルダの中にある強い意志と心の傷に触れ、2人は思いがけない共同生活を始めることに――。
殺し屋と少女という、決して交わることのないはずだった2人の人生。その交差点には、ただの復讐や暴力では語れない、深い感情の物語が待っています。
果たして、マチルダの願いは叶うのか。そして、レオンが守ろうとしたものとは――。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
独自評価・分析
ストーリー
(4.0点)
映像/音楽
(4.5点)
キャラクター/演技
(5.0点)
メッセージ性
(4.0点)
構成/テンポ
(4.0点)
総合評価
(4.3点)
『レオン』は殺し屋と少女の関係を描いた唯一無二のストーリーが強く印象に残ります。脚本の大胆さと演出の繊細さが同居し、ストーリーは4.0点。映像はニューヨークの街の雑多さと孤独を美しく表現し、音楽もエリック・セラの楽曲が作品世界に溶け込むように響いており、映像/音楽は4.5点としました。
キャラクター面ではジャン・レノとナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマンの全員が突出しており、特にポートマンの演技は新人とは思えない完成度。満点の5.0点に値します。
メッセージ性では、暴力の中に垣間見える人間性や絆がテーマとして機能し、現代にも通じる普遍性を持っています。構成はテンポよく展開されつつ、余白も丁寧に設けられているため、観る者に呼吸の余地を与えています。
3つの魅力ポイント
- 1 – 少女マチルダの圧倒的存在感
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本作最大の見どころのひとつは、ナタリー・ポートマンが演じるマチルダのキャラクター性と演技力です。わずか12歳の少女が抱える怒りと喪失、そして愛情を、視線や間合いで細やかに表現しており、観る者の心を一瞬でつかみます。彼女の存在によって、単なるバイオレンス映画に留まらず、感情を深く揺さぶる人間ドラマへと昇華されています。
- 2 – 研ぎ澄まされた映像と音楽の融合
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リュック・ベッソン監督が描く都会の静寂と暴力、そのコントラストを美しく切り取った映像美が印象的です。さらにエリック・セラの音楽が、シーンごとの緊張感や感情の余韻を効果的に支え、視覚と聴覚の両面から物語の世界観に引き込まれます。
- 3 – 静と動が交差する構成美
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銃撃戦や暴力描写の緊張感と、レオンとマチルダが過ごす穏やかな時間。この「静」と「動」のリズムが絶妙で、物語の緩急が観る者の集中力を途切れさせません。会話の間や沈黙の使い方も巧みで、言葉にされない感情までも伝わってくる構成が魅力です。
主な登場人物と演者の魅力
- レオン(ジャン・レノ)
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無口で孤独な殺し屋レオンを演じるジャン・レノは、冷徹な職業人としての顔と、マチルダに見せる不器用で純粋な一面を見事に演じ分けています。感情を多く語らない役柄にもかかわらず、その内面の優しさや葛藤を瞳や動きだけで観客に伝える表現力は圧巻。無骨な男が少しずつ人間らしさを取り戻していく姿は、本作の感動の核となっています。
- マチルダ(ナタリー・ポートマン)
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当時12歳のナタリー・ポートマンが映画デビューで挑んだマチルダ役は、彼女のキャリアを象徴する伝説的な存在となりました。大人びた言動と純粋な感情が交錯する複雑なキャラクターを、年齢を超えた深みと感情表現で演じきっており、観客を惹きつけてやみません。レオンとの関係性を通して見せる「少女」と「女性」の狭間の描写が秀逸です。
- スタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)
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悪徳麻薬捜査官という強烈な役を怪演したのが、ゲイリー・オールドマン。常軌を逸した行動や独特の話し方、クラシック音楽に陶酔する奇妙な性格など、恐怖と狂気を体現するヴィラン像を確立しました。彼の存在が物語全体に強烈な緊張感を与え、主人公たちの心理的背景に大きく作用しています。
視聴者の声・印象













こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
派手なアクションやテンポの速い展開を期待している方
年齢差のある関係性に過敏な反応を抱きやすい方
暴力描写に強い抵抗がある方
明快なカタルシスやハッピーエンドを求める人
繊細な心理描写や余韻をじっくり味わうのが苦手な人
社会的なテーマや背景との関係
『レオン』は単なる殺し屋と少女のバイオレンスストーリーではなく、1990年代アメリカ社会の空気感や、家庭崩壊・児童虐待・警察腐敗といった現実的な社会問題が背景に根ざした作品です。
まず、マチルダの家庭環境には、当時のアメリカ都市部で問題視されていた家庭内暴力や育児放棄の要素が色濃く反映されています。彼女の「守られるべき子ども」という立場が機能していない現実は、社会が見過ごしている家庭の闇を象徴しています。これは現代の虐待問題やネグレクトと通じる部分があり、今なお普遍的なテーマといえるでしょう。
一方で、悪徳麻薬捜査官スタンスフィールドに代表される「法の番人の暴走」もまた、当時の警察組織に対する不信感を反映しています。麻薬取締官がドラッグに依存し、私的な暴力を正義として振るうという構図は、権力の腐敗や暴力の正当化に対する痛烈な皮肉といえます。こうした視点は、後年『トレーニング デイ』などでも描かれるようになり、ジャンルとしての系譜を形成しています。
また、レオンとマチルダの間に芽生える絆は、社会的な「正しさ」から逸脱しているように見える一方で、制度に守られない弱者同士が出会い、互いに居場所を見出していく物語として機能しています。これは、社会的つながりの希薄さが問題視される現代においても通じる、人間の本質的な渇望を描いたテーマといえるでしょう。
このように『レオン』は、暴力や犯罪をエンタメとして描きながらも、社会の矛盾や倫理の揺らぎを浮き彫りにするという複層的な視点を持った作品です。観る者にその背景を意識させずに心を揺さぶる、そうした力がこの映画の「静かな社会派」としての魅力に繋がっています。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『レオン』は、リュック・ベッソン監督の代名詞ともいえる美しくも緊張感に満ちた映像表現が印象的な作品です。カメラワークには繊細さと大胆さが同居しており、街の雑踏や室内の静けさといった対比を活かした演出が、物語の空気感を巧みに支えています。
特に印象的なのは、レオンの視点を反映したカメラの静けさと、マチルダの感情が爆発するシーンにおける大胆な構図の使い分けです。観る者の心理と映像の呼吸が一致するような演出は、静かな映画でありながら深い没入感を生み出します。
音響面では、エリック・セラによる楽曲がシーンの緊張と緩和を見事に支配しており、台詞以上にキャラクターの心情を伝える役割を果たしています。静かなピアノや電子音楽の旋律が、暴力的な場面にも詩的な余韻を残します。
ただし、本作にはいくつか暴力描写が直接的に描かれるシーンが存在します。銃撃や流血などが頻繁に登場し、ときにリアルな痛みを伴う描写もあります。演出として過剰なスプラッターには至りませんが、感情的なショックを受ける可能性はあるため、苦手な方は注意が必要です。
また、年齢差のある登場人物同士の関係性をめぐる描写において、誤解を生まないよう慎重に観ることも重要です。劇中には曖昧な感情表現や挑発的な言動も含まれており、それが作品世界の緊張感と感傷を深めている一方で、観る人の倫理感に触れる可能性もあります。
全体としては、アート性の高い映像と感情表現が融合した作品ですが、静かな中に強い暴力性や倫理的な揺らぎが内包されている点は、あらかじめ心構えとして持っておくべきでしょう。単なる「美しい映画」では終わらない、複雑な魅力を持った作品です。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『レオン』は単体作品として完結していますが、実はリュック・ベッソン監督が過去に手掛けた作品『ニキータ』との間に密接な関係があります。『ニキータ』に登場する「掃除人ヴィクトル」というキャラクターの設定が、本作のレオンの原型とされており、精神的なスピンオフ的存在と見ることもできます。
物語やキャラクターの直接的な連続性はないものの、殺し屋という職業に対する描写や無機質な日常描写、孤独な登場人物たちの内面を静かに描く演出など、多くの共通点が見受けられます。そのため、順番としては『レオン』を観た後に『ニキータ』を観ることで、監督の世界観の広がりをより深く感じることができるでしょう。
また、2011年に公開された映画『コロンビアーナ』は、当初『レオン』のスピンオフ企画として構想されていた脚本『Mathilda』をベースに再構成されたものであるとされています。成長したマチルダを主人公にした構想は実現こそしなかったものの、その面影がこの作品に投影されています。
ただし、『コロンビアーナ』は物語上の直接的な続編ではなく、あくまで設定や演出面での影響を受けた作品であるため、順番としては本作を観た後に参考的に触れるのが適切です。
類似作品やジャンルの比較
『レオン』のように、孤独な男が少女や女性との交流を通じて心を変化させていく物語は、他の作品にも見られます。特にスタイリッシュな暴力描写と静かな人間ドラマを融合させた作品群とは、多くの共通点を持っています。
たとえば『ドライヴ』は、無口なドライバーが女性と出会うことで人生が狂い始める物語であり、抑制された演技と美学的な暴力の描き方が『レオン』と通じています。一方で、恋愛要素や現代的な演出の比重が強く、感情の方向性には差があります。
また、『ゴースト・ドッグ』は武士道を信奉する殺し屋を描いた作品で、哲学的な視点や孤独感、都市に生きるアウトローの美学という点で重なりますが、より抽象的で寓話的な構成です。
韓国映画『アジョシ』は、『レオン』を意識したとされる部分も多く、少女を守る寡黙な男の哀しき戦いというモチーフは非常に近いです。暴力描写がより激しく、感情の起伏も激しい点が特徴です。
さらに『ル・サムライ』のような古典的なフレンチ・ノワール作品と比較すると、沈黙の演技や映像の無機質さという美学は共通していますが、登場人物の関係性や感情の描写には違いが見られます。
「寡黙な殺し屋」「少女との邂逅」「静かで美しい暴力」というキーワードに惹かれる人にとって、『レオン』はそれらの要素を高い完成度で融合させた作品であり、類似作の中でも独自性が際立っています。
続編情報
『レオン』には、現在のところ正式な続編作品は存在していません。しかし、本作のヒットを受けて、監督のリュック・ベッソン自身が続編構想を持っていたことが知られています。
構想されていた続編のタイトルは『Mathilda(マチルダ)』で、成長したマチルダを主人公に据えたスピンオフとして企画されていました。脚本は既に完成していたとされ、本作でマチルダを演じたナタリー・ポートマンの再演も検討されていたものの、制作には至っていません。
この続編構想が頓挫した背景には、ベッソン監督と当時の制作会社Gaumontとの契約問題や著作権の移行トラブルが影響しています。ベッソンが新たに立ち上げたEuropaCorpでは権利が取得できなかったため、公式な続編制作には至りませんでした。
しかしながら、2011年に公開された映画『コロンビアーナ』は、この『Mathilda』の脚本をベースに再構成された作品であるとされており、精神的な後継作として扱われることもあります。物語上の繋がりはないものの、「少女が殺し屋に成長する」という構図や復讐のテーマには共通性が見られます。
現在までのところ、『レオン』の正式な続編やプリクエル、スピンオフの制作発表・配信情報は出ていませんが、ファンの間では今なお続編を望む声が根強く存在しており、リブートや再映画化の可能性が完全に消えたわけではありません。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『レオン』は、単なるアクション映画やサスペンス作品として語るにはあまりに繊細で、感情の奥深くに触れてくる映画です。殺し屋という孤独な職業に生きる男と、家族を失い社会に見放された少女。そんな2人が出会い、互いにとって唯一無二の存在となっていく過程は、人は誰かとつながることで生き直すことができるという希望と哀しみを同時に抱えています。
この物語が問いかけてくるのは、「家族とは何か」「正義とは何か」「守るとはどういうことか」といった、決して一言では語りきれない人間の根源的なテーマです。レオンとマチルダの関係性には倫理的な議論も含まれるかもしれませんが、それ以上に、愛や信頼がどのように芽生え、育まれていくのかを丁寧に見つめた作品といえます。
また、静謐な映像と鋭い暴力描写のコントラスト、音楽による情緒の高まり、キャストの演技力が相まって、本作は観る者の記憶に深く刻まれます。観終えたあとも、ふとした瞬間にマチルダの言葉やレオンの背中がよみがえる。その余韻は、まるで人生の一篇に触れたような静かな感動を伴って、心に残り続けるのです。
『レオン』が今なお語り継がれ、世界中の観客の心に残るのは、その暴力やドラマの派手さではなく、誰かと出会うこと、誰かのために生きることの尊さを真正面から描いたからに他なりません。
最後に残るのは、「あなたにとってのマチルダとは誰か?」「レオンのように、誰かを守ろうとしたことがあるか?」という、静かで個人的な問いなのかもしれません。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
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本作『レオン』には、物語の中にいくつかの象徴的なモチーフと伏線が散りばめられています。そのひとつが「鉢植えの植物」です。レオンが大切に育てている観葉植物は、彼自身の孤独な生き方と重ねられ、根を張らずに生きる姿を暗示しています。
しかし、ラストでマチルダにその植物を託す場面では、「地に根を張ること」の大切さが描かれ、レオン自身が守るべきものと出会い、自分の生を他者へ引き渡したことを象徴的に示しています。この変化は、レオンが「生きていた」という証を残す最も静かな表現とも取れます。
また、マチルダの視点から見ると、本作は“復讐譚”ではなく、自己再生の物語でもあります。家族を失い、怒りと悲しみに支配されていた彼女が、レオンとの時間を通して自分の存在を肯定していく過程は、もうひとつの“成長物語”としての側面を持っています。
注目すべきは、レオンがマチルダに殺しの技術を教える中で、実は彼女に「人を殺すことではなく、誰かを守るという意味」を伝えていた点です。この教えが、後の彼女の選択や言葉にどのような影響を与えたかは明言されていませんが、観る者に想像を委ねる構成が、作品の余韻を深めています。
さらに、ゲイリー・オールドマン演じるスタンスフィールドは、単なるヴィランというよりも、正義を履き違えたもうひとりの「破壊された孤独な人間」とも解釈できます。レオンとの対比構造によって、暴力の持つ意味や、人間の限界を浮かび上がらせています。
本作の結末は決して明るくはありませんが、ラストシーンに込められた静かな希望と再生の兆しは、観る者に人生と人間関係の本質を問いかけるものとなっています。
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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