『バーフバリ 王の凱旋』とは?|どんな映画?
『バーフバリ 王の凱旋』は、インド映画界を代表する壮大な叙事詩的アクション・ファンタジー作品です。圧倒的なスケールで描かれる王国の戦いと愛、そして運命に翻弄される英雄の物語が、視覚的にも物語的にも観る者を魅了します。
前作『バーフバリ 伝説誕生』の続編にあたる本作では、前作で明かされなかった「なぜバーフバリは殺されたのか」という核心が描かれ、壮大なサーガが完結します。重厚なストーリーと神話的な世界観、そして圧巻の戦闘シーンや音楽が融合し、まさに“インド版ロード・オブ・ザ・リング”とも呼ばれるほどの壮麗な映画体験を提供します。
一言で言えば、『バーフバリ 王の凱旋』は「英雄の宿命と王国の誇りを描いた、究極のスペクタクル神話映画」です。
基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報
| タイトル(原題) | Baahubali 2: The Conclusion |
|---|---|
| タイトル(邦題) | バーフバリ 王の凱旋 |
| 公開年 | 2017年 |
| 国 | インド |
| 監 督 | S・S・ラージャマウリ |
| 脚 本 | V・ヴィジャエーンドラ・プラサード |
| 出 演 | プラバース、ラーナー・ダッグバーティ、アヌシュカ・シェッティ、タマンナー、サティヤラージ、ラミャ・クリシュナ |
| 制作会社 | アルカ・メディア・ワークス、アルカ・クリエーションズ |
| 受賞歴 | 第65回ナショナル・フィルム・アワード 最優秀特撮賞・最優秀人気映画賞 受賞 |
あらすじ(ネタバレなし)
壮大な王国マヒシュマティを舞台に、英雄バーフバリの伝説が再び幕を開けます。前作『バーフバリ 伝説誕生』で明かされた衝撃の真実を受け、本作ではその運命を継ぐ若き王子マヘンドラ・バーフバリが、父の志と誇りを胸に王国奪還へと立ち上がります。
民を苦しめる暴君バラーラデーヴァの圧政の下、王国は混乱の渦中にありました。母デーヴァセーナを救い、正義を取り戻すために、マヘンドラは仲間と共に旅立ちます。やがて語られるのは、父アマレンドラ・バーフバリの壮麗な過去と、その血に刻まれた王としての宿命。
壮大なスケールで描かれる愛と勇気、そして裏切りと誇りの物語——「真の王」とは誰なのか。その答えが、今ここに明らかになろうとしています。
予告編で感じる世界観
※以下はYouTubeによる予告編です。
本編視聴
独自評価・分析
ストーリー
(4.0点)
映像/音楽
(4.5点)
キャラクター/演技
(4.0点)
メッセージ性
(3.5点)
構成/テンポ
(3.5点)
総合評価
(3.9点)
ストーリーは王家の確執と“誰が真の王か”という命題を軸に、前作からの謎を解く推進力がある一方、因果や偶然が重なる展開にやや一本調子な部分もあり、厳しめに4.0。
映像/音楽は本作最大の強み。巨大スケールの合戦、美術、VFX、そして高揚感のあるスコアが緻密に結束している。派手さに頼るだけでなく画の設計が巧みで4.5。
キャラクター/演技は主役級の存在感が強く、母子の絆や忠義のドラマが厚い。ただし人物像が記号的に寄る場面もあり、全員が均等に深掘りされるわけではないため4.0。
メッセージ性は「正義・誇り・責任」という普遍テーマを正面から掲げる王道路線。説得力はあるが、価値観の更新や再解釈の斬新さは限定的で3.5。
構成/テンポはスペクタクル重視の山場設計が効いている反面、中盤の溜めが長く感じられる箇所がある。娯楽大作として十分に熱いが、密度のムラを考慮して3.5とした。
3つの魅力ポイント
- 1 – 神話のような壮大なスケール感
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本作最大の魅力は、まるでインド神話を現代映像で再構築したかのような圧倒的スケールです。巨大な宮殿や軍勢、天を突くような建築群など、想像を超える世界が緻密に描かれています。その壮麗さはCGや実写の境界を忘れるほどで、視覚的な驚きが止まりません。
- 2 – 親子の絆と忠義の物語
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父アマレンドラ・バーフバリと息子マヘンドラ・バーフバリの絆、そして母デーヴァセーナへの深い愛情が、物語全体の芯を成しています。血のつながりだけではない“王としての誇り”や“民への責務”が重層的に描かれ、単なる英雄譚ではなく人間ドラマとしても厚みを持たせています。
- 3 – 映像と音楽の圧倒的シンクロ
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戦闘シーンのリズムや感情の高まりを音楽が完璧に支え、まるでオペラのような高揚感を生み出しています。特にクライマックスでは、映像・サウンド・演技が三位一体となり、観客を興奮の渦に巻き込みます。“音で感じる映画”としての完成度は、世界的にも高く評価されています。
主な登場人物と演者の魅力
- マヘンドラ・バーフバリ/アマレンドラ・バーフバリ(プラバース)
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父と子、二役を演じたプラバースの存在感は圧倒的です。アマレンドラとしての王者の風格と、マヘンドラとしての若き情熱を見事に演じ分け、彼自身が“バーフバリ神話”の象徴となっています。筋肉美や眼差しの強さだけでなく、内面の誠実さをも滲ませる演技は圧巻で、観る者に深い感動を与えます。
- デーヴァセーナ(アヌシュカ・シェッティ)
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王妃としての威厳と、愛に生きる女性としての情熱を併せ持つデーヴァセーナを、アヌシュカ・シェッティが堂々と体現。決して男たちの陰に隠れない、自ら信念を貫く姿勢は多くの女性観客の共感を呼びました。圧政に屈しない眼差しの強さが、この物語の精神そのものを表しています。
- バラーラデーヴァ(ラーナー・ダッグバーティ)
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王位への野望と嫉妬に取り憑かれた宿敵バラーラデーヴァを演じたラーナー・ダッグバーティの迫力も見逃せません。静かな狂気を湛えた演技で、単なる悪役ではなく、悲劇的な存在としての深みを与えています。彼の存在があってこそ、バーフバリの正義が際立つといっても過言ではありません。
- シヴァガーミ(ラミャ・クリシュナ)
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王家を統べる女王シヴァガーミを演じるラミャ・クリシュナのカリスマ性は群を抜いています。王の母として、国家の象徴としての責任を背負う彼女の姿は、物語全体に重厚な緊張感を与えます。母性と冷徹さの狭間で揺れるその表情が、作品に圧倒的な深みをもたらしています。
視聴者の声・印象





こんな人におすすめ
逆に避けたほうがよい人の特徴
リアリティ重視の映画を好み、誇張された演出や英雄譚が苦手な人。
長尺の作品に集中するのが難しい人や、テンポの速い現代的な編集を好む人。
恋愛や日常を中心にした静かなドラマを求めている人。
VFXや派手な戦闘シーンよりも心理描写を重視するタイプの人。
歌や舞踊などインド映画特有の要素に馴染みがない人。
社会的なテーマや背景との関係
『バーフバリ 王の凱旋』は単なる神話的ファンタジーではなく、インド社会に根づく権力構造・伝統・階級意識を寓話的に映し出した作品でもあります。マヒシュマティ王国という架空の舞台は、現代インドが抱える「権威と民衆」「支配と献身」の構図を象徴しており、社会的階層や宗教的倫理観への暗示が随所に見られます。
物語に描かれる“真の王とは何か”という問いは、現代の政治・社会リーダーシップにも通じる普遍的なテーマです。王位を継ぐ資格を血統ではなく「正義」と「民の幸福」で判断する物語構造は、伝統的なカースト制度や男系主義に対する痛烈なメッセージとも取れます。
また、女性キャラクターの描かれ方にも注目すべき点があります。デーヴァセーナやシヴァガーミは、単なる王族の付属的存在ではなく意志を持つ主体的な女性として描かれています。彼女たちの発言力や判断力は、インド社会における女性の地位向上を象徴しており、強い女性像が新時代の価値観を示唆しています。
さらに、宗教的な要素も巧みに取り入れられています。劇中の儀式や祈り、神々への献身はヒンドゥー文化の根幹にある「カルマ(業)」や「ダルマ(義務)」の概念と深く関わっています。バーフバリが“正義を貫くために戦う”姿は、単なる英雄ではなく道徳的責務を背負う存在として描かれ、観客に倫理的な共感を呼び起こします。
こうした社会的・文化的な背景を踏まえると、『バーフバリ 王の凱旋』は単なるスペクタクル映画ではなく、インドという国の精神的アイデンティティを再定義する叙事詩として成立していることがわかります。娯楽性の裏に潜む深い社会意識こそが、この作品を特別なものにしているのです。
映像表現・刺激的なシーンの影響
『バーフバリ 王の凱旋』の映像表現は、インド映画の枠を超えて世界水準のビジュアル・エンターテインメントに到達しています。広大な王国の風景、神殿の荘厳さ、そして圧倒的な合戦シーンまで、CGと実写を緻密に融合させた映像はまさに芸術的。ひとつひとつのカットが構図的に完成されており、「映画を観る」というよりも「壮麗な神話絵巻を体験する」ような感覚を覚えます。
戦闘シーンは非常にダイナミックで、剣や弓、巨大な兵器を駆使したアクションが繰り広げられます。敵軍をなぎ倒す表現などにはやや流血や暴力的な描写も含まれますが、過度に生々しくはなく、スタイライズされた演出として処理されています。むしろ映像の美しさと動きのダイナミズムが強調されており、残酷さよりも“戦の美学”としての側面が際立っています。
音響面では、太鼓のリズムや管楽器の重厚な響きが戦闘の臨場感を高め、観客の鼓動とシンクロするような没入感を生み出します。静寂と爆発的サウンドのコントラストが巧みで、劇場での視聴ではまさに身体で感じる体験となるでしょう。
一方で、情愛を描く場面では艶やかさを演出しながらも、性的な表現は極めて抑制されています。愛の表現は視線や仕草、音楽によって象徴的に描かれ、全年齢層でも安心して鑑賞できる仕上がりです。
総じて本作は、刺激的な要素よりも壮大さ・美しさ・感情の高まりに焦点を当てた作品です。戦闘の迫力や音響の重圧に圧倒される場面もありますが、残酷さや恐怖ではなく「美的なスペクタクル体験」として観るのが正しいスタンスでしょう。視聴時には、スケールの大きさと映像詩としての完成度を味わう意識で臨むと、より深い感動を得られます。
関連作品(前作・原作・メディア展開など)
『バーフバリ 王の凱旋』は二部作の後編にあたり、シリーズやメディア展開を押さえると理解が深まります。ここでは観る順番や原作系資料との関係を整理します(続編情報は別見出しで扱います)。
■ 観る順番(基本)
まずは映画二作を公開順=物語順で視聴するのが王道です。
1) 『バーフバリ 伝説誕生』 → 2) 『バーフバリ 王の凱旋』。
■ アニメ前日譚
映画では描かれない若き日の王子たちを描く前日譚アニメ『バーフバリ 失われた伝説』が展開しています。映画鑑賞後に補完として観ると、登場人物の関係性や王国の背景がより立体的に理解できます(映画前に観てもネタバレ性は低め)。
■ 小説(前史の深掘り)
シリーズ世界の前史を小説化した『ザ・ライズ・オブ・シヴァガミ』では、国母シヴァガミの歩みや宮廷内の権力構造が詳述されます。映画では断片的だった政治的背景や人物動機の“因縁”を文字情報で補強できる資料です。
■ コミカライズ
日本ではコミック版『バーフバリ〜王の凱旋〜』が刊行され、合戦や人物の心理が漫画的ダイナミズムで再構成されています。映画の名場面を紙面で復習したい人に向くメディアです。
■ ドラマ企画(前日譚)
前日譚を描くドラマ企画『バーフバリ:ビフォア・ザ・ビギニング』が発表されており、シヴァガミに焦点を当てた物語として知られています(映画の物語に入る前の時代設定)。
■ 原作との違い・補完のポイント
映画二作は映画オリジナルの叙事詩として完結しており、アニメ/小説/コミックは前日譚や周辺設定を拡張する位置づけです。映画で核心に触れる王位継承のドラマはそのままに、補助メディアで人物像や政治背景が多面的に膨らみます。
類似作品やジャンルの比較
『バーフバリ 王の凱旋』は、神話・英雄譚・王国ドラマといった要素を融合させた壮大なスペクタクル映画であり、同じく“英雄の宿命”や“壮大な世界観”を描く作品と比較すると、その個性がより際立ちます。
■ 『ロード・オブ・ザ・リング』
ファンタジー世界を舞台にした叙事詩という点で共通しますが、『バーフバリ 王の凱旋』はより宗教的・精神的な比喩が多く、神話的象徴の重みが強いのが特徴です。対して『ロード・オブ・ザ・リング』は人間の欲望と友情を軸に、より西洋的な寓話性を帯びています。
■ 『グラディエーター』
権力への復讐、家族の名誉、王国の奪還というテーマが重なります。『バーフバリ 王の凱旋』は東洋的な美意識と抒情で包み、『グラディエーター』は写実的な暴力と人間の孤独を描く点でコントラストが鮮明です。
■ 『キングダム』
群衆戦や戦略的合戦描写において共通点が見られますが、『バーフバリ 王の凱旋』は個の力や神格性を重視し、より伝説的なヒーロー像を確立しています。一方『キングダム』は集団戦と人間関係の機微に焦点を当てており、現実主義的です。
■ 『RRR』
同じくS・S・ラージャマウリ監督による作品であり、バーフバリの映像表現をさらに発展させた一作です。神話的象徴を現代の歴史ドラマに落とし込み、友情や自由への闘志を熱く描きます。『バーフバリ』が王国と血筋の物語なら、『RRR』は民衆と理想の物語と言えるでしょう。
いずれの作品も、英雄の信念・犠牲・誇りを描いていますが、『バーフバリ 王の凱旋』はその中でも宗教的・文化的な重層性が最も際立つ映画です。インド的叙事詩の美と、王道エンタメの融合を体感できる希有な存在といえます。
続編情報
1) 続編の有無
劇場用の実写長編として直接の続編(『バーフバリ 王の凱旋』の後に位置づく新作)は、現時点で公式発表はありません。一方で、フランチャイズ拡張として新作アニメ映画の企画発表が行われています。
2) タイトル・公開時期
新作は3Dアニメ映画『Baahubali: The Eternal War』。ティーザーが『バーフバリ エピック4K/Baahubali: The Epic』の上映インターミッションでお披露目予定とされており、公開時期は未公表です。
3) 制作体制
企画発表はS・S・ラージャマウリによるもので、シリーズの製作会社であるArka Media Worksが関与。監督名や主要キャスト等の詳細は現時点で未公表です。
※上記は公式発表ベースの最新動向です。「公式発表がない=続編なし」とは断定せず、実写続編については今後の告知を待つ必要があります。
まとめ|本作が投げかける問いと余韻
『バーフバリ 王の凱旋』は、単なる王道のアクション映画でも、神話的英雄譚の再現でもありません。壮大な映像美の中に、人間の誇り・責任・愛・宿命といった普遍的なテーマが折り重なり、観る者に深い問いを残します。「真の王とは誰か」「正義とは何を指すのか」──その答えは決して一つではなく、観客の価値観によって異なる形で心に響きます。
父から子へ、母から王国へと受け継がれる意志。それは血筋や地位に依存しない、心の中の王としての覚悟を象徴しています。物語の終盤で描かれるバーフバリの選択は、権力の象徴ではなく「人々と共に生きる王」としての理想像であり、インド映画が持つスピリチュアルな側面を象徴する場面でもあります。
また本作が提示するのは、善悪の単純な対立ではなく、「信念のぶつかり合い」による葛藤の美学です。バラーラデーヴァの野望にも、彼なりの正義が存在し、登場人物すべてが“自らの信念のために戦う”。その姿が観る者に複雑な感情を呼び起こします。敵ですら憎みきれないドラマ性が、単なる勧善懲悪ではない深みを生んでいます。
映像・音楽・演技・美術のすべてが融合し、神話のような時間を生み出す本作は、終幕後もしばらく心を支配します。王国の鼓動のような太鼓の響き、炎と風が交錯する戦場の残像、そして母と子の誇り──それらが観る者の記憶に焼き付き、まるで壮大な詩のような余韻を残します。
『バーフバリ 王の凱旋』が投げかけるのは、「人は何をもって偉大とされるのか」という普遍の問いです。力か、知恵か、慈悲か。そのすべてを内包しながら、真の強さは“人を守るために戦う心”に宿ると静かに教えてくれる。この映画が描く“王の凱旋”とは、外的勝利ではなく、魂の勝利なのです。
ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)
OPEN
『バーフバリ 王の凱旋』の核心は、「父の死の真相」と「真の王位継承」の物語にあります。前作で提示された「なぜバーフバリは殺されたのか」という問いが、今作でついに解かれます。アマレンドラ・バーフバリが命を落とすのは、裏切りではなく“誤った忠誠心”の連鎖による悲劇であり、王国を支えた忠臣カッタッパの涙に象徴されます。
興味深いのは、殺害の背景が単なる権力争いではなく、母シヴァガーミの「義務と感情の狭間」にあったことです。彼女が“民の王”と“血の王”の間で揺れる姿は、母であり王であるという二重の責任を背負う者の苦悩を表しています。結果として彼女の判断が悲劇を招きますが、それは「正しさ」と「愛」が必ずしも両立しないというテーマの象徴でもあります。
また、マヘンドラ・バーフバリの物語は父の復讐譚であると同時に、「王としての理想像を再構築する旅」でもあります。アマレンドラが“民のために生きた王”なら、マヘンドラは“父の理想を継ぐ王”として覚醒していく。これは血の継承を超えた精神的なバトンの継承を意味しています。
敵であるバラーラデーヴァも、単純な悪役ではなく“王座への渇望に囚われた者”として描かれています。彼の暴走は、愛情を得られなかった息子の悲しみの裏返しでもあり、権力欲の裏にある孤独を示しています。つまり、善悪ではなく「どちらの正義がより人を救うか」という観点で語られる点が本作の深みです。
最終決戦でマヘンドラが父の敵を討つ場面は、単なるカタルシスではなく、“誤りを正し、世代を超えて罪を浄化する儀式”として描かれています。王の称号は血統ではなく、その行いと覚悟によって与えられる。だからこそ物語は復讐で終わらず、「正義の再生」で幕を閉じるのです。
そして余韻として残るのは、バーフバリの名が単なる人物の名ではなく、“理想の象徴”として永遠に語り継がれるというメッセージです。王国は滅んでも、信念は滅びない──それが本作の神話的余韻であり、ラージャマウリ監督が観客に託した祈りのような問いなのかもしれません。
ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)
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