映画『フランケンシュタイン』|現代科学と倫理が交錯する、ギレルモ・デル・トロ版ゴシックホラー

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『フランケンシュタイン』とは?|どんな映画?

フランケンシュタイン』は、2025年に新たな解釈で蘇ったゴシックホラーの傑作です。メアリー・シェリーの古典的原作を現代の科学倫理やAI技術の視点から再構築し、「命を創る」という人間の傲慢と、創造された存在の孤独を描き出します。

本作はホラー要素に加え、ダークファンタジーやサスペンスの要素も融合させたシネマティックな作品で、陰影に満ちた映像美と緊張感のある音響が特徴です。雪深い研究施設や無機質な都市の風景が、冷たい孤独と狂気を際立たせています。

一言で言えば、「神になろうとした人間と、その創造物の悲劇」を描く現代版『フランケンシュタイン』。人間の倫理と科学の境界を問う、哲学的なホラー作品といえるでしょう。

基本情報|制作・キャスト/受賞歴・公開情報

タイトル(原題)Frankenstein
タイトル(邦題)フランケンシュタイン
公開年2025年
アメリカ/イギリス合作
監 督ギレルモ・デル・トロ
脚 本ギレルモ・デル・トロ、J・マイルズ・デイル
出 演ジェイコブ・エロルディ、オスカー・アイザック、ミア・ゴス、クリストファー・ウォーケン
制作会社Netflix、Double Dare You Productions
受賞歴(公開前・映画祭出品予定)

あらすじ(ネタバレなし)

雪深い北欧の研究施設で、天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、人間の死を克服するための極秘実験に没頭していた。目的は「完全な生命」を人工的に創造すること。しかし、彼が生み出した存在は、想像を超える力と知性を備えながらも、人間としての“心”を持たない存在だった。

その創造物は次第に自我に目覚め、自分が何者であるのか、なぜ生まれたのかを問い始める。やがて施設の外へと逃亡した“彼”を追うヴィクター。「創造者と創造物」――2つの存在の間に生まれるのは、愛か、憎しみか。

現代科学と倫理の狭間で揺れる二人の運命。冷たい雪景色と、人工の光に照らされた実験室が、狂気と悲哀の物語を静かに包み込んでいく…。果たして人は、どこまで神に近づくことを許されるのか――。

予告編で感じる世界観

※以下はYouTubeによる予告編です。

独自評価・分析

ストーリー

(3.0点)

映像/音楽

(4.0点)

キャラクター/演技

(3.5点)

メッセージ性

(3.5点)

構成/テンポ

(3.0点)

総合評価

(3.4点)

評価理由・背景

ストーリーは古典の骨格を尊重しつつ現代的テーマを重ねているが、序盤の導入と動機付けに既視感があり、驚きよりも堅実さが前面に出るため厳しめに3.0点。

映像/音楽は本作の強み。陰影の強いライティングや冷色基調の美術、抑制の効いたサウンドデザインが世界観を確立しており、劇場体験の価値を押し上げるため4.0点。

キャラクター/演技は、創造者と創造物の関係性に厚みがある一方、周辺人物の描写が類型的な場面も見られ、感情の深掘りが不均衡。バランスを考慮して3.5点。

メッセージ性は「生命倫理」「責任」「孤独」といったモチーフを明快に提示するが、解釈の余白をやや説明で埋めがち。余韻よりも主張が勝つ印象で3.5点。

構成/テンポは中盤の追跡パートが伸び、緩急の波が単調に感じられる箇所があるため3.0点。総合的には技術面で見どころが多いが、物語の新規性と起伏で伸び悩み、平均3.4点という評価に落ち着いた。

3つの魅力ポイント

1 – 現代科学と古典ホラーの融合

『フランケンシュタイン』は、19世紀文学の象徴的存在である原作を、AIや再生医療など現代科学のテーマに置き換えたことで、古典ホラーに現代的な倫理観を重ねることに成功しています。科学技術の進化と人間の傲慢を対比的に描く構成が新鮮で、過去と未来をつなぐ物語として強い説得力を持っています。

2 – 映像美と世界観の統一感

雪原に沈む研究施設、無機質なラボ、淡く揺らぐ蛍光灯――すべてが統一された寒色トーンで構築され、冷たくも美しい映像世界が生み出されています。ギレルモ・デル・トロ監督ならではの質感表現とライティングが圧巻で、観る者を恐怖と悲哀の境界へと誘います。

3 – “創造された者”の内面描写

本作の最大の見どころは、怪物として描かれる存在の“心”に踏み込む点です。生まれて初めて世界を見る視点や、人間の拒絶に揺れる心情が丁寧に描写されており、単なる恐怖ではなく共感と哀しみを呼び起こします。観客は「人間らしさとは何か」を問われることになるでしょう。

主な登場人物と演者の魅力

ヴィクター・フランケンシュタイン(演:オスカー・アイザック)

人間の限界を超えようとする天才科学者。オスカー・アイザックが演じるヴィクターは、冷徹さと情熱が同居する複雑な人物像として描かれています。知性の奥に潜む狂気を静かに滲ませる演技が圧巻で、観る者に「創造者であり破壊者」という二面性を強く印象づけます。

“被造物”/クリーチャー(演:ジェイコブ・エロルディ)

死体から生み出された“命”を持つ存在。ジェイコブ・エロルディはその長身と繊細な表情を生かし、恐怖と哀しみを併せ持つ新しいフランケンシュタイン像を体現しています。無垢ゆえの残酷さ、孤独ゆえの暴走を繊細な演技で表現し、観客の共感を引き寄せます。

エリザベス・ルーベン(演:ミア・ゴス)

ヴィクターの研究を支える助手であり、倫理的視点から彼を諫める存在。ミア・ゴスは知性と儚さを兼ね備えた演技で、物語の中に“人間性の残響”を与えています。彼女の視線は科学の狂気に飲み込まれていくヴィクターの心を映し出す鏡のように機能しています。

ハーリング教授(演:クリストファー・ウォーケン)

かつてヴィクターを指導した恩師。クリストファー・ウォーケンが放つ威厳と不気味さは圧倒的で、科学の限界と人間の道徳の狭間で揺れる物語に重みを与えます。彼の登場は短いながらも、ヴィクターが越えてはならない一線を観客に強く意識させます。

視聴者の声・印象

冷たい映像美と静かな恐怖がずっと残る。
序盤は引き込まれるけど、中盤の停滞が惜しい。
“被造物”の視点が切なくて思わず共感した。
倫理テーマの説明が多く、余韻より説教感が強め。
音と光の演出が秀逸で劇場で観て良かった。

こんな人におすすめ

古典文学の名作を現代的な視点で再解釈した作品が好きな人。

『シェイプ・オブ・ウォーター』や『ブレードランナー』のように、人ならざる存在の“心”を描く物語に惹かれる人。

静かな緊張感や陰影のある映像美を楽しみたい人。

科学倫理や人間の傲慢さをテーマにしたシリアスなドラマを好む人。

ホラーよりも哲学的・芸術的な恐怖を味わいたい人。

逆に避けたほうがよい人の特徴

テンポの速い展開や派手なアクションを期待している人。
ホラー要素中心の恐怖やジャンプスケアを求める人。
明快な勧善懲悪のストーリーが好きな人。
重厚なテーマや倫理的な議論よりも娯楽性を重視したい人。
哲学的・比喩的な演出に苦手意識がある人。

社会的なテーマや背景との関係

『フランケンシュタイン』という物語は、誕生以来200年以上にわたって「人間が神の領域を侵すこと」への問いを投げかけてきました。2025年版となる本作では、その問いがAI、再生医療、そして生命倫理の最前線という現代社会の現実と密接に結びついています。科学が生命を創造し得る時代において、「命とは誰のものなのか」という問いは、もはやフィクションの中だけに留まりません。

ヴィクターが追い求める「完璧な創造」は、AI開発や遺伝子編集など、人類が直面している科学的挑戦を象徴しています。彼の研究がもたらす悲劇は、テクノロジーの暴走や倫理なき発展の危うさを示す寓話であり、現代の科学者・企業・国家に対する警鐘として機能しています。創造主が責任を放棄したとき、その“創造物”がもたらす混乱は、まさに私たちの社会におけるAIのリスクと重なります。

また、本作が描く「孤独」や「拒絶」は、SNSやデジタル社会で他者との関係が希薄化する現代人の姿にも通じています。人間に似て非なる存在である“被造物”の苦悩は、外見や出自、属性によって差別や排除を受ける現代社会のメタファーとしても読み取れるでしょう。「理解されないことへの絶望」と「愛されたいという渇望」は、AIやクローンの物語に限らず、すべての人間に共通する感情です。

ギレルモ・デル・トロ監督はこれらのテーマを冷たい映像と静かな演出で描きながらも、決して悲観的には終わらせません。科学と倫理の衝突を通じて、「創造とは何か」「人間性とはどこにあるのか」を改めて考えさせる構成になっています。『フランケンシュタイン』は、過去の寓話でありながら、同時に現代の“テクノロジー時代の鏡”として私たちの前に立ちはだかるのです。

映像表現・刺激的なシーンの影響

本作『フランケンシュタイン』の映像表現は、ギレルモ・デル・トロ監督らしい緻密な美術と陰影を生かしたライティングによって構築されています。冷たい青と無機質な白を基調とした世界観は、生命を「創る」という行為の神聖さと狂気を同時に表現し、観る者に静かな不安を植え付けます。特にラボや手術室のシーンでは、金属の光沢や液体の反射など細部まで徹底され、科学的リアリティと芸術的美が見事に融合しています。

刺激的な描写については、従来のホラー映画のような露骨な恐怖演出よりも、心理的な緊張とグロテスクな美学に重きが置かれています。人体再生の過程や死体を扱うシーンには生々しい表現が一部含まれますが、それらは過剰な残酷描写ではなく、物語のテーマである「生命の尊厳」を際立たせるための手段として用いられています。視覚的なショックよりも、静かに積み上げられる倫理的不安が恐怖の核となっています。

音響面では、電子的なノイズや心拍のような低音が全体を支配し、観客の神経をじわじわと刺激します。音の“間”が巧みに使われており、沈黙が最も恐ろしい瞬間として機能するのも特徴です。また、雪の降る無音のシーンでは、わずかな呼吸音や足音が生々しく響き、孤独と絶望を体感させます。

一方で、視聴時には精神的な重さを感じる場面も多く、気分が沈みやすい人にはややハードな内容に映るかもしれません。残酷な暴力や過度な刺激は少ないものの、倫理や存在に関する問いが深く突き刺さるため、静かな衝撃を受ける作品としての覚悟を持って臨むとよいでしょう。芸術的ホラーや心理的サスペンスを好む人にとっては、映像体験そのものが“美しく恐ろしい”魅力となるはずです。

関連作品(前作・原作・メディア展開など)

本作はメアリー・シェリーの古典小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を新解釈で映像化した作品です。原作は「創造と責任」「孤独と承認」を主題に据え、多数の映画・舞台・コミックスへと広く影響を与えてきました。

観る順番の目安:まずは本作単独でも理解可能。そのうえで、原作小説やユニバーサル映画のクラシック群を辿ると、怪物像の変遷やテーマの受け継がれ方がより鮮明になります。

  • 原作:『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』――手紙体で語られる“創造者と被造物”の対話が核。「怪物の語り」は必読ポイント。
  • クラシック映画(ユニバーサル):『フランケンシュタイン』『フランケンシュタインの花嫁』――ボリス・カーロフのイコニックな怪物像を確立。外見イメージの源流に触れられます。
  • パロディ/再解釈:『ヤング・フランケンシュタイン』――モノクロ撮影とクラシック演出を踏まえつつ笑いに転化した名作。元ネタ理解が深まる“逆引き”として最適。
  • 舞台(NT Live 等):『フランケンシュタイン(舞台版)』――創造者と怪物の配役を入れ替える演出で、視点の反転と共感の揺らぎを体感できる再解釈。
  • スピン・周辺作:『ヴィクター・フランケンシュタイン』『アイ,フランケンシュタイン』ほか――科学者側や怪物側の視点拡張、アクション指向の派生など、多様な読み替えを確認できます。

原作との違い(本作の立ち位置):本作はゴシック要素を土台に、倫理・主体性・“存在の孤独”を現代の社会課題と結び付けて強調。クラシックに見られる“外見的怪物性”の記号よりも、内面に潜む人間性と関係性の断絶に焦点を当てているのが特徴です。

類似作品やジャンルの比較

“創造と責任”“人ならざる存在の孤独”という核を共有しつつ、描き方は作品ごとに異なります。ここでは「これが好きならこれも」という観点で、共通点と相違点を簡潔に整理します。

  • 『エクス・マキナ』:密室的対話と倫理の緊張感が近い。相違点は、人工知能の知性ゲームに焦点を置く点で、身体性や“生々しさ”よりも知的サスペンスが主。
  • 『ブレードランナー』:創られた存在の「魂」を問う哲学性が共通。相違点は、都市SFのスケール感とハードボイルド要素が強く、叙情と退廃の美学が前面に出る。
  • 『シェイプ・オブ・ウォーター』:異形への共感と“愛”のモチーフが通底。相違点は、ロマンスとファンタジーの比重が高く、恐怖よりもぬくもりの余韻を残す点。
  • 『アンダー・ザ・スキン』:人ならざる視点で“人間”を観察する冷ややかな感触が近い。相違点は、説明を極力排したミニマルな実験性で、解釈の余白が大きい。
  • 『メアリー・シェリー』:原典の誕生背景を知ることで、本作の主題理解が深まる。相違点は、作家の生涯ドラマに重心があり、ホラー的要素は抑制的。
  • 『ヴィクター・フランケンシュタイン』:科学者側のドラマを拡張する再解釈。相違点は、友情や冒険色が強く、クラシック要素をポップに再編。
  • 『アップグレード』:身体とテクノロジーの結合がもたらすアイデンティティの揺らぎが共通。相違点は、アクション性とジャンル混淆の勢いが強い。

観る順のヒント:重層的に味わうなら、まず本作でテーマの“核”を掴み、続けて『エクス・マキナ』『ブレードランナー』で倫理と存在論の射程を広げ、最後に『メアリー・シェリー』で原典的理解を補強すると、主題の立体感が増します。

続編情報

現時点で、本作『フランケンシュタイン』の続編に関する公式発表は確認できませんでした。今後、監督や配給元から新たなアナウンスがあれば情報を更新します。

結論:続編情報はありません。

まとめ|本作が投げかける問いと余韻

『フランケンシュタイン』は、200年前に生まれた原作が持つ「生命の創造」という永遠のテーマを、現代の倫理とテクノロジーの狭間に置き直した作品です。科学が進歩し、AIや遺伝子工学が現実に命を“再設計”する時代において、この物語が再び映像化されたこと自体に、強い意味が込められています。

物語の核心は、創造主ヴィクターと“被造物”の関係にあります。創られた存在は、自分を生んだ者を求め、同時に憎みます。それはまるで、私たち人間が自分を取り巻く社会や神、あるいはテクノロジーそのものに抱く感情のようです。「誰が誰を創り、誰が誰を支配しているのか」という問いが、静かに観客の胸に突き刺さります。

ギレルモ・デル・トロ監督は、残酷な現実描写よりも静謐な映像美と陰影で、人間の傲慢さと孤独を語ります。雪の降る夜の静けさ、心臓の鼓動のような低音、青白い光に浮かぶ実験室――そのすべてが、科学の冷たさと人間の脆さを象徴しています。感情を爆発させるのではなく、沈黙と間によって恐怖と悲哀を伝える演出が見事です。

観終えたあとに残るのは、恐怖よりも深い哀しみと人間への問いです。創造主は被造物を見捨てるべきだったのか、それとも愛することができたのか。生み出された存在に“魂”はあるのか。――その答えは観る者それぞれに委ねられています。

本作は、ホラーやSFという枠を超え、人間そのものの根源を映し出す鏡のような作品です。私たちが進化を求めるたびに、どこかで誰かが同じ問いを繰り返す。「人間とは何か」という終わりのない探求こそが、この映画の最大の余韻と言えるでしょう。

ネタバレ注意!本作の考察(開くと見れます)

OPEN

本作『フランケンシュタイン』の核心は、ヴィクターと“被造物”の立場がやがて逆転していく構造にあります。物語が進むにつれ、ヴィクターの行為は科学者としての探求心ではなく、自己の恐怖と後悔に支配された逃避へと変化していきます。一方、怪物は創造主を超える「人間性」を獲得していく――この入れ替わりこそが、本作の最大のテーマといえるでしょう。

また、作品全体に散りばめられた“目”と“光”のモチーフは、観察・監視・創造を象徴しています。実験室の照明、雪原に反射する月光、そして怪物の瞳――それらはすべて「神の視線」と「被造物の視線」が交錯する象徴的な装置です。観る/見られるという関係性が、創造主と被造物の境界を曖昧にしていきます。

エリザベスの存在も重要です。彼女は単なる“良心の象徴”ではなく、ヴィクターの破壊的衝動と怪物の孤独の中間に立つ人物として描かれます。彼女の死と再生のモチーフは、「愛」という形で命をつなぐ可能性を暗示しており、物語の終盤で示される“再構築された身体”は、倫理を超えた愛の表現とも読み取れます。

終盤、ヴィクターと怪物が対峙する雪原のシーンでは、言葉よりも沈黙がすべてを物語ります。ヴィクターが崩れ落ちる瞬間、怪物の表情に宿るのは怒りではなく悲しみと赦し。そこには「父と子」「創造主と被造物」ではなく、もはや“同じ孤独を抱えた存在”としての対等性が成立しています。

この構図を現代的に読み解くと、AIや生命工学がもたらす「人間と非人間の境界の消失」というテーマに重なります。怪物はもはや恐怖の象徴ではなく、「人間性そのものを問い直す鏡」。観客は最後に、怪物とは誰なのか――ヴィクターか、それとも我々自身かという永遠の問いに向き合うことになります。

ネタバレ注意!猫たちの会話(開くと見れます)

OPEN
ねえ君、あの“被造物”が最後に雪の中で立ってたシーン…なんか泣けたよ。
わかる、あれ完全に人間より人間だったね。でも僕はそのあと出てきた実験室の描写が怖すぎて固まったよ。
ヴィクター、最初は理想に燃えてただけなのに、どんどん壊れていくのが切なかった…君もそう思った?
うん、あの表情の変化すごかった。ジェイコブ・エロルディの目がまるで光と影の間を行き来してたよ。
でもさ、“命を作る”って、やっぱり罪なのかな…。もし僕らが作られた存在だったらって考えたら、ちょっと怖いかも。
僕ならまず、創造主に「ご飯のおかわりありますか?」って聞くね。
そこ聞くとこ違う!哲学どこ行ったの!?
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